徐奕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 19:17 UTC 版)
徐 奕(じょ えき、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。字は季才。徐州東莞郡東莞県の人。『三国志』に伝がある。
生涯
戦乱を避けて江東に渡った。孫策の招きを受けたが徐奕は姓名を変えて逃亡した。曹操が司空となると、これに仕え、その属官となる。馬超征伐に同行し、戦後、現地に留められ関中の鎮撫を任され、名声を博した。当時、寵愛されていた丁儀達に讒言されたこともあるが、動揺することはなく、曹操からの信任も変わらず、魏郡太守に任用されたり、孫権征伐の留守を任されたりした。魏が藩国として創立すると、尚書、尚書令となり、人事を任された。曹操が漢中に遠征したとき、魏諷が反乱を起こし、楊俊が連座し免職となると、桓階の推薦により後任の中尉に任命されたが、病気で数ヶ月で辞職し、諫義大夫となり、亡くなった。
子はなかったが、曹丕(魏の文帝)は徐奕の人柄を追慕し、従子の徐統を取り立てている。
魏志 (魏書) |
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蜀志 (蜀書) |
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呉志 (呉書) |
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徐奕(じょ えき、字・季才)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)
「蒼天航路」の記事における「徐奕(じょ えき、字・季才)」の解説
西涼攻めで登場。乱後の関中復興のために集められた人材の一人。城市と治水の修復計画を担当。
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