丁儀とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 丁儀の意味・解説 

丁儀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 10:05 UTC 版)

丁 儀(てい ぎ、? - 220年)は、中国後漢時代末期の人物。正礼豫州国の出身。西曹掾・尚書を務めた。父は丁沖[1](後漢の司隷校尉)。弟は丁廙(字は敬礼)。

事跡

弟と共に曹植に仕えた。丁儀は文才に優れており、曹操からもその才能を評価され、清河長公主曹昂の同母妹)を嫁がせようともいわれた。しかし当時、太子であった曹丕が「丁儀の容貌は斜視(眇=すがめ、片目が小さいこと)なので、そのような醜い男の妻になっても姉上がお気の毒です。この際、姉上には子林(夏侯楙)に嫁いでいただくのがよろしいでしょう」と縁談に反対した。このため曹操も頷き、丁儀と娘の縁談を破談にした。

だが曹操は、後に丁儀が改めて有能だと分かると「やはり娘を丁儀に嫁がせるべきであった」と、大いに後悔したという。このような経緯から、丁儀と曹丕は犬猿の仲になってしまった。そのため曹操の晩年に曹丕と曹植による後継者争いが起こると、丁儀は曹植擁立に奔走し、曹丕を太子から廃そうと何度も画策した。丁儀の働きによって曹丕派の崔琰は処刑され、毛玠も失脚した(「崔琰伝」「毛玠伝」「徐奕伝」「何夔伝」)。

220年に曹丕が王位に即位すると、弟と共に逮捕されて処刑された。だが、文才に富んでいた彼の死は、多くの人から惜しまれたと言う。

なお、陳寿は『三国志』の編纂過程で丁儀の子孫に原稿料を要求し、それを断られたため丁儀の伝記を書かなかった、という逸話が残っている。ただしこれは、丁一族の男子が曹丕に族滅させられてしまっているため疑わしい。

三国志演義

小説『三国志演義』では、曹操の死後葬儀に参列しなかったことから、曹丕の命令を受けた許褚に逮捕され、正史同様に弟と共に処刑されている。

脚注

  1. ^ 曹操とは「竹馬の友」であった



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「丁儀」の関連用語

丁儀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



丁儀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの丁儀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS