陳武
孫策が寿春にいたとき、陳武は彼のもとに赴いて拝謁したが、当時十八歳でありながら身の丈は七尺七寸もあった。従軍して長江を渡り、征討で功績を立てて別部司馬に任じられる。孫策は、劉勲を破って多くの廬江人民を手に入れたので、その精鋭を選りすぐって陳武をその督にしたが、向かうところ敵なしであった。 孫権が事業を統括するようになると督五校へ異動になった。仁慈に厚く施しを好んだため、郷里や遠方から数多くの客人が彼に身を寄せた。最も孫権の寵愛を蒙り、(孫権は)しばしば陳武の家族を訪ねることがあった。たびたび功労を重ねて官位は偏将軍まで昇った。 建安二十年(二一五)の合肥攻撃に従軍したが、生命を投げ出して奮戦したすえ、討死した。孫権は彼を哀れみ、自ら葬儀に列席し、陳武の愛妾たちを殉死させた。 【参照】孫権 / 孫策 / 劉勲 / 合肥侯国 / 寿春県 / 松滋県 / 長江 / 廬江郡 / 督 / 督五校 / 別部司馬 / 偏将軍 / 五校 |
陳武
陳武
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「陳武」の解説
(岳飛伝)葉春の弟子。無為軍で漁船の造船に携わる。軍は嫌いだが船造りに情熱を燃やしており、葉春の薦めもあって南宋水軍の造船所を差配する。梁紅玉に惚れて働き出した王清と親しくなり、彼が出ていく際は自分の鑑札を渡して便宜を図ってやった。無為軍の造船所が壊滅した後は、新たに象山へ建設された造船所で造船を指揮する。
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陳武
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孫権の配下。3回戦う濮陽の戦いの勝利状況次第で装備が「李広の弓」か「呂布の弓」に変化する。
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陳武(ちん ぶ、字・子烈)
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「蒼天航路」の記事における「陳武(ちん ぶ、字・子烈)」の解説
「八頭の獣」の一人。顎の割れた濃い顔をした大男。武器は投槍。吾粲とは古い付き合いらしく、かつて一緒に虎刈りを行っていた。合肥の戦いで張遼から孫権を守ろうとして張遼に斬られる。
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