仲長統とは? わかりやすく解説

仲長統

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 07:21 UTC 版)

仲長 統(ちゅうちょう とう、181年 - 220年)は、後漢末期の人物。公理兗州山陽郡高平県の人。

略歴

若い頃から学問を好み、博覧強記で文章に優れていた。二十歳過ぎの頃から青州徐州并州冀州を遊学した。上党郡に疎開していて彼と出会った常林や、東海郡の繆襲など、彼と交流のあった者の多くが彼を高く評価した。繆襲は常々「仲長統は、前漢賈誼董仲舒劉向揚雄の後を継ぐに足る才能である」と称えていた。

并州の高幹は各地の士を招いており、彼に付き従う者も多かった。彼の元を訪れた仲長統も歓待を受け、高幹から当時の世の事を質問された。仲長統は「貴方は雄大な志は持っていても雄大な才能は持っておらず、士を好んでいますが人を選ぶ事ができません。このことを深く戒めることです」と言った。高幹が、自負心からその言葉を受け入れることが出来なかったため、仲長統は彼の下を去った。その後、高幹は反乱を起こして敗死した。これにより并州・冀州の人々は仲長統を知るようになった。

仲長統は、物事にとらわれない性格で直言を厭わず、不意に沈黙したり語り出したりしたため、彼を狂生と呼ぶ者もいた。州や郡から登用の招きがあっても、病気と称して赴かなかった。

荀彧が彼の事を知り、彼を高く評価して尚書郎に推挙した。その後、参丞相軍事となり曹操に仕えた。

仲長統は古の事や当時の事を論じ始めると、常に発憤し嘆息した。そこで『昌言』という三十四篇に及ぶ十余万言の書を著した。

延康元年(220年)、40歳で死去した。

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「仲長統」の関連用語

1
96% |||||

2
36% |||||

3
32% |||||

4
16% |||||

5
8% |||||

6
8% |||||


8
8% |||||

9
8% |||||

10
8% |||||

仲長統のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



仲長統のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの仲長統 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS