張飛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 政治 > 軍事 > 武将 > 張飛の意味・解説 

ちょう‐ひ〔チヤウ‐〕【張飛】

読み方:ちょうひ

166?〜221中国三国時代の蜀(しょく)の武将。涿(たく)郡(河北省)の人。字(あざな)は益徳関羽とともに劉備たすけて魏・呉と戦った勇猛だが粗暴で、呉討伐の際に部下殺された。


張飛Zhang Fei

チョウヒ
チヤウヒ

168?~221
車騎将軍・仮節・司隷校尉西郷桓侯

字は益徳涿郡の人。

劉備関羽とともに黄巾党討伐義兵挙げた劉備平原相になると別部司馬任命された。呂布追討軍に従軍して曹操から中郎将任じられる。のち劉備に従って袁紹劉表のもとに逃れた

劉表死んで曹操軍勢南進させると当陽長阪で敵の追撃防いだ。川を前にして切って落とし、わずか二十騎を率いて「我こそ張飛なるぞ。いざ死を決せん」と叫ぶと、敵はそれ以上進もうとせず、劉備無事に落ち延びた劉備赤壁戦勝ののち荊州南四郡を攻略し、張飛を宜都太守・征将軍任じ、新亭侯に封じた。のち南郡太守栄転する。

劉備益州平定始めると、やや後れて諸葛亮趙雲とともに長江遡上して戦い参加した軍勢分けて各郡県を攻め、張飛は巴郡太守厳顔生け捕りとする。張飛が怒って「なぜ降伏しなかったのか」と言うと、厳願は「益州には首を斬られる将軍はあっても降伏する将軍はいないのだ」と答えた。張飛は激怒して彼を処刑しようとしたが「斬るなら斬れ。腹を立てることはあるまい」と顔色一つ変えない厳顔見て感心し、彼を赦し賓客とした。こうして各地勝利を収めて成都劉備合流し益州平定がなると諸葛亮関羽法正とともに五百斤・銀千斤・銭五千万両・錦千匹を下賜され、張飛は巴西郡太守任命された。

曹操将軍夏侯淵張郃巴西郡宕渠・蒙頭・盪石に侵入すると、これに対峙して五十日になった。張飛は精鋭一万人を率いて裏道通って張郃攻め破った劉備漢中王に就くと右将軍・仮節に任命された。章武元年二二一)に劉備が蜀を興して帝位即く車騎将軍・兼司隷校尉益州牧)に昇任西郷侯に封じられた。

張飛は君子を敬う一方小人には無慈悲に振る舞い劉備戒めにも改めなかった。劉備孫権を討つため軍勢を催すと、一万人を率いて江州合流することになっていたが、出陣のとき幕下張達范彊殺された。二人首級持って孫権のもとに逃れた劉備は張飛の陣営から使者が来たと聞くと「ああ、張飛が死んだ」と歎いた。

のち劉禅皇帝のとき、桓侯と諡された。

参照袁紹 / 夏侯淵 / 関羽 / 厳顔 / 諸葛亮 / 曹操 / 孫権 / 張郃 / 張達 / 趙雲 / 范彊 / 法正 / 劉備 / 劉表 / 呂布 / 益州 / 漢中郡 / 宜都郡 / 江州県 / 蜀 / 司隷 / 新亭 / 西郷 / 成都県 / 赤壁 / 涿郡 / 長江 / 長阪 / 宕渠県 / 盪石 / 当陽県 / 南郡 / 巴郡 / 巴西郡 / 平原国 / 蒙頭 / 右将軍 / 王 / 郷侯 / 車騎将軍 / 司隷校尉 / 相 / 征将軍 / 太守 / 中郎将 / 亭侯 / 別部司馬 / 牧 / 諡 / 仮節 / 桓侯 / 黄巾党


張飛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 23:16 UTC 版)

張 飛(ちょう ひ、拼音: Zhāng Fēi、生年不詳 - 章武元年(221年)6月[1])は、中国後漢末期から三国時代将軍政治家益徳[注釈 1]幽州涿郡の人。『三国志』蜀志[2]に伝がある。封号は新亭侯、のち西郷侯。は桓侯。子は張苞張紹敬哀皇后張氏張皇后。孫は張遵


注釈

  1. ^ a b c d 『三国志』蜀志「先主伝」
  2. ^ a b  陳壽 (中国語), 三國志/卷36#.E5.BC.B5.E9.A3.9B, ウィキソースより閲覧。 
  3. ^ a b c 『三国志』蜀志「関羽伝」には「先主(劉備)が郷里の涿郡で人数を集めた時、関羽と張飛はその腹心の配下となった」とある。本田1968
  4. ^ 『三国志』蜀志「先主伝」が引く『英雄記』によると、張飛が曹豹を殺害しようとしたという。
  5. ^ 『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」。なお、張飛と夏侯氏との間の娘2人はともに蜀の2代皇帝劉禅の后になっている(敬哀皇后および張皇后)。後に魏で司馬懿による政権掌握の政争が起こったとき、夏侯覇がその伝手を頼って蜀に亡命してきている。
  6. ^ 『三国志』蜀志「張飛伝」、本田1968の訳文によった。百衲本による張飛伝原文は「身是張益德也,可來共決死!」である。「燕人(えんひと)張飛、これにあり!」(原文:「燕人張翼德在此!誰敢來決死戰?」)と言ったというのは『三国志演義』第四十二回「張翼德大鬧長阪橋」の創作であり、正史『三国志』では燕人の語がない。「燕人」は上原究一の研究によれば、後世の金時代にいたモンゴル人と漢民族の混血の勇敢な「漢児」を表す言葉であったという。上原論文 「「漢兒」なる張飛――金末の張飛人気と「燕人」の来源」 『三国志研究』 第5号 (2010.9)、56-71参照。
  7. ^ 『三国志』蜀志「張飛伝」、本田1968(長坂の戦い)。
  8. ^ 『三国志』蜀志「先主伝」「諸葛亮伝」「張飛伝」「趙雲伝」「劉封伝」
  9. ^ 『三国志』蜀志「張裔伝」によると、張裔は劉璋の命令で徳陽の陌下で張飛を迎撃しようとしたが、敗れている。
  10. ^ 『三国志』蜀志「先主伝」「関羽伝」によると、関羽はこのとき荊州の留守を任されていた。
  11. ^ 『三国志』蜀志「魏延伝」
  12. ^ 盧弼『三国志集解』
  13. ^ 『三国志』蜀志「後主伝」
  14. ^ 上原究一 「「漢兒」なる張飛――金末の張飛人気と「燕人」の来源」 『三国志研究』 第5号 (2010.9)、56-71.上原論文によると、金・元時代の燕の地域には張飛の子孫を称する人物が複数いたという。
  15. ^ 羅貫中・村上訳『三国志(一)竜戦虎争の巻』 (Kindle の位置No.137-138). . Kindle 版.現版は1968、電子版はグーテンベルク21、2012
  16. ^ 『傅子』
  17. ^ 『三国志』魏志董昭伝
  18. ^ 『三国志』魏志「劉曄伝」
  19. ^ 『三国志』呉志「周瑜伝」
  20. ^ 蔡 2008, p. 11.
  21. ^ 羅・王・瞿 2014, pp. 16–18.
  22. ^ 蔡東洲「民間文化与張飛形象的演変」『西華師範大学学報(哲学社会科学版)』第5号、2008年、7-14頁。 ; 羅盛吉、王中龍、瞿正瀛「張飛豈是多才芸之俊秀文人?」『湖北文理学院学報』第12号、2014年、15-22頁。 
  23. ^ 第至治新刊全相平話三國志 巻之上”. 中国の民間信仰と道教. 関西大学・文学部・二階堂研究室. 2010年7月31日閲覧。
  24. ^ これらの容貌は正史には記述されていない。中野美代子は評伝「英雄たちの面構え」の中で、8世紀ごろから中国の民衆の間で急激に人気の広まった鍾馗、または明王像のイメージが共に人気のあった張飛の外見に取り入れられたのではないかと述べている(『中国ペガソス列伝』、中公文庫、1997)。
  25. ^ 濱田寛「関羽の息子、花関索伝」『決定版「三国志」考証事典』別冊歴史読本 新人物往来社 1996年(平成8年) ISBN 4404024096、86pp-96 該当は88pp
  26. ^ 三国志の劉備の故郷、桃園結義の「楼桑村」
  27. ^ 『決定版「三国志」考証事典』別冊歴史読本 新人物往来社 1996年(平成8年) ISBN 4404024096、24-25pp
  1. ^ 翼徳」とするのは三国志演義の設定
  2. ^ 蜀漢の文化的な有名人について、史書や書論などから確認できるのは、『三国志』にだけ「(諸葛)瞻工于書画」という記述がある。
  3. ^ この銘文に関する最も早い言及は楊慎『全蜀芸文志』に見えるものの、偽作だとする研究が複数存在する[20][21][22]


「張飛」の続きの解説一覧

張飛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 01:49 UTC 版)

ジャイアントロボ バベルの籠城」の記事における「張飛」の解説

劉備関羽義弟。凄まじい力を持つ。見せ場もなく怒鬼敗北した

※この「張飛」の解説は、「ジャイアントロボ バベルの籠城」の解説の一部です。
「張飛」を含む「ジャイアントロボ バベルの籠城」の記事については、「ジャイアントロボ バベルの籠城」の概要を参照ください。


張飛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 14:54 UTC 版)

STOP劉備くん!」の記事における「張飛」の解説

桃園で契を交わした義兄弟三男武勇優れるが、こちらもさして何ができるということもなく、3人でいつもとりとめのない遊び興じている。長坂の戦いでは曹操軍から「片手ハンマー片手に剣を持ち世の中恨んだ目で睨みつけてくる」と恐れられていたが、そのことを非常に気にしていた。

※この「張飛」の解説は、「STOP劉備くん!」の解説の一部です。
「張飛」を含む「STOP劉備くん!」の記事については、「STOP劉備くん!」の概要を参照ください。


張飛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 03:04 UTC 版)

三国志演義の成立史」の記事における「張飛」の解説

張飛は、三国説話世界かき回す随一トリックスターである。単純で陽性破天荒、乱暴だが侠を重んじ腕っ節も強いという分かりやすいキャラクター庶民広く愛され、『水滸伝』の李逵魯智深『西遊記』孫悟空猪八戒と同様、宋代の講談や元の雑劇では大人気であった正史における張飛伝の記述800字に満たないが、「万人の敵」(魏書程昱伝)と称された武は有名だったらしく、敵方劉曄伝や周瑜伝でも武勇を讃えられている。陳寿による関羽評が「士卒には優しいが、士大夫に対して驕慢だった」とするにも関わらず正反対に後世士大夫崇敬集めたのとは対照的に、張飛も「君子目上の者)を敬ったが、小人目下の者)には情容赦なかった」という陳寿の評とは逆に小人=庶民人気集めていくこととなる。すでに唐代李商隠驕児詩」で、子供が張飛の特徴知っていたことは上述通りである。説三分においても張飛は人気キャラクターだった。 口承文学英雄であったことは張飛の字の変化にも現れている。正史では字を「益徳」とするが、『平話』や、嘉靖本を除く『演義』ではすべて「翼徳」に作る。益と翼は文字で書くと全く別であるが、発音元代以降非常に近くなり、講談演劇等の喋りでは区別されない。名の「飛」のイメージに引きずられて同音の「翼徳」で筆記されることが増え、元々同音誤字の多い『平話』でも記載され、『演義』各本に踏襲されたものであろう。 元末から明初にかけての雑劇中には、「張翼徳大杏林荘」「張翼徳単戦呂布」「張翼徳三出小沛」「莽張飛大鬧石榴園」など張飛を主人公とするものが多い。それらの中で張飛はいつも「莽撞(がさつで向こう見ず)」という形容詞つけられている。今日細部まで内容が残る三国雑劇23本全108幕のうち、張飛が歌唱となっているのは、実にその1/4の27幕に達し2位関羽15幕)を大きく引き離しており、人気のほどがうかがえる講談世界観集大成した平話』になると、張飛の活躍はほぼ主人公といえるまでにすさまじく当時の張飛の大衆的人気物語る。正史には劉備督郵監査役人)の横柄な態度怒り縛って鞭で打ち据え、自らの官印督郵の首にかけて逃亡したという話が載るが、『平話』ではこの話の主役は張飛に代わり腹を立てた張飛が督郵の崔廉を殴り殺したあげく死体八つ裂きにし、劉備関羽とともに太山逃げ込んで山賊になったという無茶苦茶な展開に変わる(『演義』では『平話』の行き過ぎた叙述正史寄り改めつつ、張飛が督郵鞭打つ展開は残し、張飛の短気劉備仁愛、そして両者助言する関羽冷静さを描く逸話変貌させている)。さらに徐州曹操敗れ兄弟離散した際は、張飛は山賊大王となって快活」なる独自年号まで立てた。また長坂の戦いでは曹操大軍前に、張飛が名乗りを上げる敵兵ひるんだという正史記事誇張し、張飛が雷鳴のような叫びをあげるとたちまち真っ二つ断ち切れ敵兵驚いて30里も退却したという、とんでもない話に発展するこうしたは文字にしてしまうと荒唐無稽過ぎて興醒めするが、講釈師抑揚をつけ面白おかしく語れば、聴衆から万雷喝采を受けることができた。『平話』は語り物で受けを取る口調のまま、逸話収められており、張飛はこうした講談相性のいい英雄だったことがうかがえる。 しかし士大夫層が加筆する段になると、儒教的道徳や礼教のから逸脱した張飛の破天荒な行動は、関羽趙雲といった道徳的な英雄によって抑制されていく。『水滸伝』でも同様に、張飛的キャラクターである李逵は元の雑劇水滸戯)で大活躍していたが、小説として完成する段階で、その活動宋江燕青といった良識的な人物行動制約されるようになった小川環樹はこれらの無意識な圧力を「小説儒教化」と呼ぶ)。この傾向は、より史実的な物語追求した毛宗崗本においてさらに強まり、張飛のセリフ頻用される「我哥哥」(兄貴)という口語的な呼称が、毛本では「我兄」といった文言表現修正されている。 『演義』が文言小説として完成する段階で、削ぎ落とされていった大衆的な張飛像は、『笑府』や京劇といった口語的世界ではその後生き続け、現在でも中国庶民の間で不動人気誇っている。

※この「張飛」の解説は、「三国志演義の成立史」の解説の一部です。
「張飛」を含む「三国志演義の成立史」の記事については、「三国志演義の成立史」の概要を参照ください。


張飛(ちょうひ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 23:00 UTC 版)

三国志 (北方謙三)」の記事における「張飛(ちょうひ)」の解説

劉備義弟実直心優しい豪傑であるが、劉備の「徳の将軍」という声望に傷をつけないよう、酒乱乱暴者というイメージを表に出し進んで泥をかぶる役を演じる。後に蜀漢軍の伝統となる厳し調練死者も出る)の基礎を築く。呂布の黒騎馬隊手本とした張飛の騎馬隊は、劉備軍では最強を誇る。内に秘めた優しさ故に義兄関羽戦死、そして愛妻董香喪うという相次ぐ衝撃によって生じた心の隙を、呉の謀臣張昭に衝かれ暗殺される。張飛の野戦料理は、蜀漢軍の伝説となる。

※この「張飛(ちょうひ)」の解説は、「三国志 (北方謙三)」の解説の一部です。
「張飛(ちょうひ)」を含む「三国志 (北方謙三)」の記事については、「三国志 (北方謙三)」の概要を参照ください。


張飛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:17 UTC 版)

私説三国志 天の華・地の風」の記事における「張飛」の解説

字は翼徳で、劉備義兄弟蛮勇絵に描いたよう猛将。酒が大好きで、酒が入ると見境なく人に絡む。武勇にばかり力を出しているように見えるが、意外と劉備本性当てた

※この「張飛」の解説は、「私説三国志 天の華・地の風」の解説の一部です。
「張飛」を含む「私説三国志 天の華・地の風」の記事については、「私説三国志 天の華・地の風」の概要を参照ください。


張飛(ちょうひ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 06:28 UTC 版)

王者の遊戯」の記事における「張飛(ちょうひ)」の解説

劉備軍の将であり、劉三義兄弟末弟

※この「張飛(ちょうひ)」の解説は、「王者の遊戯」の解説の一部です。
「張飛(ちょうひ)」を含む「王者の遊戯」の記事については、「王者の遊戯」の概要を参照ください。


張飛(ちょうひ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/11 20:11 UTC 版)

ランペイジ (漫画)」の記事における「張飛(ちょうひ)」の解説

本作主人公。字は益徳一般的な三国志の張飛像とは違って身長は普通で、虎髭はやしているわけではないし、体格平均レベル越えるものではない。さらに性格においても勇猛とは言いがたく、ヘタレである。

※この「張飛(ちょうひ)」の解説は、「ランペイジ (漫画)」の解説の一部です。
「張飛(ちょうひ)」を含む「ランペイジ (漫画)」の記事については、「ランペイジ (漫画)」の概要を参照ください。


張飛 (声:荒川太郎)(演:友常勇気 / 大藏基誠)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 04:48 UTC 版)

龍狼伝」の記事における「張飛 (声:荒川太郎)(演:友常勇気 / 大藏基誠)」の解説

基本的には『演義』に準ずる怪力のみでなく武術天才である。本気で戦えば、特殊な術一切使わずとも虎豹騎虚空衆数人まとめて一合葬る関羽に「自分よりも強い」と言わしめる実力者である。

※この「張飛 (声:荒川太郎)(演:友常勇気 / 大藏基誠)」の解説は、「龍狼伝」の解説の一部です。
「張飛 (声:荒川太郎)(演:友常勇気 / 大藏基誠)」を含む「龍狼伝」の記事については、「龍狼伝」の概要を参照ください。


張飛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:45 UTC 版)

三國志曹操伝」の記事における「張飛」の解説

劉備関羽義弟一騎当千猛将

※この「張飛」の解説は、「三國志曹操伝」の解説の一部です。
「張飛」を含む「三國志曹操伝」の記事については、「三國志曹操伝」の概要を参照ください。


張飛(ちょうひ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:17 UTC 版)

男塾 (架空の学校)」の記事における「張飛(ちょうひ)」の解説

ワールド杯中代表として初登場スケートエアホッケー用いた拳法を使う。後に男塾入塾

※この「張飛(ちょうひ)」の解説は、「男塾 (架空の学校)」の解説の一部です。
「張飛(ちょうひ)」を含む「男塾 (架空の学校)」の記事については、「男塾 (架空の学校)」の概要を参照ください。


張飛(ちょうひ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 03:45 UTC 版)

曉!!男塾 青年よ、大死を抱け」の記事における「張飛(ちょうひ)」の解説

中国代表

※この「張飛(ちょうひ)」の解説は、「曉!!男塾 青年よ、大死を抱け」の解説の一部です。
「張飛(ちょうひ)」を含む「曉!!男塾 青年よ、大死を抱け」の記事については、「曉!!男塾 青年よ、大死を抱け」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「張飛」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



張飛と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「張飛」の関連用語

張飛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



張飛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
むじん書院むじん書院
Copyright (C) 2024 mujin. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの張飛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジャイアントロボ バベルの籠城 (改訂履歴)、STOP劉備くん! (改訂履歴)、三国志演義の成立史 (改訂履歴)、三国志 (北方謙三) (改訂履歴)、私説三国志 天の華・地の風 (改訂履歴)、王者の遊戯 (改訂履歴)、ランペイジ (漫画) (改訂履歴)、龍狼伝 (改訂履歴)、三國志曹操伝 (改訂履歴)、男塾 (架空の学校) (改訂履歴)、曉!!男塾 青年よ、大死を抱け (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS