曹豹
興平元年(一九四)夏、曹操が全軍をこぞって徐州に攻め寄せたとき、劉備とともに郯の東に駐屯し、迎撃しようとしたが敗走する。曹操は徐州において多数の住民を虐殺した《武帝紀》。 陶謙が病没すると劉備が徐州を取り仕切ることになったが《先主伝》、曹豹は徐州に残って劉備に仕えたようである。建安元年(一九六)、袁術が徐州に侵攻したとき、劉備は盱眙・淮陰に出て彼を防ぎ、こうして両軍は一ヶ月のあいだ対峙した。曹豹は下邳国相として張飛とともに下邳城を守っていたが、張飛と仲違いして呂布を招き入れようとした《先主伝》。しかし呂布が到着する以前に張飛に殺されてしまう《呂布伝》。下邳を守っていた中郎将許耽は呂布に使者を送り、真夜中に呂布軍が到着すると開門して出迎えた。その結果、張飛の軍勢は敗走し、劉備や諸将の妻子は徐州とともに呂布の手に落ちた《呂布伝》。 一般に低い評価が与えられている曹豹だが、下邳は闕宣の遺領であり、当然、反対勢力が根強かったと思われる。そうした統治困難な大国を委任されたというだけでも、彼がいかに高く評価されていたかが窺える。決して凡庸な人物ではない。配下の許耽が陶謙と同郡の人なので、曹豹も同じく丹楊郡の人である可能性が高い。 【参照】袁術 / 許耽 / 曹操 / 張飛 / 陶謙 / 劉備 / 呂布 / 下邳国 / 盱眙県 / 徐州 / 郯県 / 丹楊郡 / 淮陰県 / 相 / 中郎将 |
曹豹
曹豹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:42 UTC 版)
「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「曹豹」の解説
陶謙配下の文官。陶謙の死後は劉備に仕え、下邳の城の留守を張飛と共に任された。禁酒令を破って酒を飲む張飛を諌めるが逆に殴り飛ばされ、それを恨んで呂布を城内へ引き入れて下邳を乗っ取らせた。逃亡する張飛を追撃するが、逆に返り討ちにあって斬られた。
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