陶謙とは? わかりやすく解説

陶謙Tao Qian

トウケン
タウケン

(?~?)

公孫瓚の将。徐州刺史陶謙とはおそらく別人だろう。

初平三年一九二)、公孫瓚単経平原劉備高唐、陶謙を発干進出させたが、これらは龍湊において袁紹曹操軍撃退され幽州引き揚げた《武帝紀・後漢書袁紹伝》。

参照袁紹 / 公孫瓚 / 単経 / 曹操 / 陶謙(徐州刺史) / 劉備 / 高唐県 / 発干県 / 平原県 / 幽州 / 龍湊


陶謙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 02:36 UTC 版)

陶 謙(とう けん、陽嘉元年(132年) - 興平元年(194年))は、中国後漢末期の武将・政治家。恭祖揚州丹陽郡の人[1]。『後漢書』と『三国志志に伝がある。子は陶商・陶応。妻は甘氏[2]


  1. ^ 盧弼中国語版の『三国志集解』では、丹陽郡丹陽県の人と述べている。
  2. ^ 魏志「陶謙伝」が引く『呉書』よると、同県の人である蒼梧太守甘公の娘とする。
  3. ^ 魏志「陶謙伝」が引く『呉書』によると、陶謙の父は余姚県令であったが、陶謙が14歳の時に亡くなった。その後、陶謙は誰の世話にもならず生計を立て、良い評判が立ったとされる。その一方で、14歳(成人直前)になっても近所の子供たちを集めて、大将のように振舞って遊んでいた。14歳のとき、蒼梧太守の甘公の娘婿となった件については別項で記す。
  4. ^ 「陶謙伝」が引く『呉書』によると、剛直で節義があったため孝廉に挙げられ、尚書郎に採り立てられた。後に舒県県令に転じたところ、同郡出身で陶謙の父の友人でもあった、上役の廬江太守張磐から折り有る毎に酒を強要され、それを断ったことで彼と不和となった。また、県の役人による着服行為を発見したが、陶謙は己の身は律しても、犯罪を暴き立てる事を好まぬ性質であったため、官職を棄てて任地を後にしたという。
  5. ^ 「陶謙伝」が引く『呉書』によると、皇甫嵩とともに西討伐で功績を立てた。しかし、張温の下に転属されると、その人となりや指揮能力に不満を抱くようになったという。ある時、張温から宴席で諸将に酒をついで回るよう命じられたことに怒り、満座の中で張温を面罵した。そのために張温の怒りを買って、辺境に左遷された。後に、同僚の弁護があって復帰したとされる。
  6. ^ 魏志「臧覇伝」によると、このとき騎都尉として臧覇が採り立てられている
  7. ^ 呉志「朱治伝」による。
  8. ^ 『後漢書』「朱儁伝」による。
  9. ^ その有様は次のようであったとされる。
    魏志「二公孫陶四張伝」
    趙昱は徐州の名士であったにも拘らず、忠義で正直な人格のために疎んじられた。
    曹宏・笮融等は邪悪な小人物であったにも拘らず、信頼し任用した(ために徐州もまた乱れていった)。
    呉志「張昭伝」
    張昭等の地元の名士を無理矢理仕官させようとし、従わぬと一時幽閉した。
    呉志「呂範伝」
    孫堅の長男の孫策を忌み嫌い、孫策が江都の家族を呼び寄せようと使者に出した呂範を、袁術の内偵と疑って捕らえた。
  10. ^ 自分勝手に皇帝を名乗った宗教指導者。「武帝紀」によると、曹操には朝廷から闕宣追討の勅令が出ていた。
  11. ^ 曹嵩殺害の経緯についてはいくつか説が有るので載せる。
    陳寿による『三国志』魏志「武帝紀」本文
    曹操の父の曹嵩は退官して一度故郷に戻ったが、董卓との戦いが始まると、戦禍を避けて琅邪に逃れた。そこを陶謙が襲って殺害した。
    『三国志』魏志「武帝紀」・注『世語』
    曹嵩は泰山郡の華県にいた。曹操は迎えを出したが、陶謙が先回りして兵を出したので、皆殺されてしまった。
    『三国志』魏志武帝紀・注『呉書』
    陶謙は、曹嵩が領内を安全に通行できるよう、張闓を護衛につけた。しかし、泰山郡の華県・費県の間を通行中、張闓は曹氏の莫大な財産に目が眩み、曹嵩らを殺害し財産を持ち逃げした。曹操は陶謙に責任を取らせるため、攻め込んだ。
  12. ^ 『後漢書』「陶謙伝」による
  13. ^ 柿沼陽平「後漢末の群雄の経済基盤と財政補填策」(初出:『三国志研究』第11号(2016年)/所収:柿沼『中国古代貨幣経済の持続と展開』(汲古書院、2018年)) 2018年、P119.
  14. ^ 蜀志「先主伝」による
  15. ^ 原文「背道任情、刑政失和、良善多被其害、由是漸乱」
  16. ^ 原文「昏乱而憂死」
  17. ^ 公孫瓚・公孫度張楊とあわせての評価。


「陶謙」の続きの解説一覧

陶謙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:42 UTC 版)

三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「陶謙」の解説

徐州太守争い好まず善政敷き領民臣下からも慕われていた。曹操の父・曹嵩徐州通過する際、曹操近づきたいと考え彼を出迎えるが、黄巾賊崩れ部下曹嵩殺してしまったため曹操怒りを買う。自らの首と引き換え臣下領民の命を助けてもらおう考えるが家臣たちに止められ各地援軍求めた結果唯一駆けつけてくれた玄徳軍恩義を抱く。その後まもなく陶謙は病死するが、次期徐州太守玄徳に譲ることを遺言した

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レジェンドヒーロー三国伝」の記事における「陶謙」の解説

常に地味な仕事をしているメガネ掛けた青年レジェンドヒーロー張ガイ変身する劉備たちには敵対心無く純粋なレジェンドヒーローだったが、レジェンドヒーロー于吉の針に刺され性格凶暴化してしまい夏侯惇倒されてドリームバトルを脱落する。さらに第39話にて劉備達がダークスティクとの戦闘中再登場した。

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