張尚とは? わかりやすく解説

張尚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 04:36 UTC 版)

張 尚(ちょう しょう、生没年不詳)は、中国三国時代の政治家。徐州広陵郡の人。祖父は張紘。父は張玄

生涯

孫晧の時代に侍郎を経て、侍中中書令の官に昇った。

孫晧の命令で琴の演奏を習得したが、ある時、孫晧と琴の話になると張尚は、「平公師曠に清角の調べを弾かせようとすると、師曠は『我が君の徳は薄く、これをお聴きになるには足りません』と申しました」と口にした。孫皓はこれを自身への批判と捉え、不快に感じた。まず別のことに託けて張尚を獄に下し、次いで建安郡に移送して船作りの労役に当たらせ、最終的に張尚は誅殺された。

一方で『三国志』の注に引く『呉紀』によると、張尚は議論において孫皓をたびたび出し抜き、また孫皓の酒量を孔子に比したことで怒りを買って拘束されたが、岑昏ら百余人の嘆願により処刑は免れたという。

同じく『三国志』注に引く『江表伝』は、張尚を「俊才」と称賛している。

出典


張 尚 (孫呉)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 07:47 UTC 版)

「張尚」の記事における「張 尚 (孫呉)」の解説

張 尚(ちょうしょう生没年不詳)は、中国三国時代の呉の人物祖父張紘。父は張玄孫晧時代侍郎となり、抜擢され侍中中書令となった孫晧に琴を演奏するよう言われたため辞退したところ、勅命習わされた。その後何度孫晧勘気触れ発言したため、獄につながれた。岑昏らが寛大な処分願ったために死罪免れたが、建安郡移住させられて船作り労役課せられ、後に誅殺されたという。

※この「張 尚 (孫呉)」の解説は、「張尚」の解説の一部です。
「張 尚 (孫呉)」を含む「張尚」の記事については、「張尚」の概要を参照ください。

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