陳震
劉備が荊州牧になったとき従事となり諸郡を取り仕切った。劉備に随行して益州平定に従軍。蜀郡北部都尉となる。蜀郡北部が郡に昇格されて陳震は汶山太守となった。のち犍為太守に転任する。建興三年(二二五)、中央に召されて尚書に任じられ、やがて尚書令に進み、勅命を受けて呉への使者として赴いた。 建興七年(二二九)、孫権が帝号を称すると、衛尉に昇進して呉に赴き、孫権の即位を祝賀することになった。武昌の都に到着すると、呉帝孫権は陳震とともに祭壇に昇り、犠牲の血をすすって盟約を結び、徐州・予州・幽州・青州を呉の領有とし、幷州・涼州・冀州・兗州は蜀の領有とし、司州は函谷関を境界として東西に分割することとした。陳震は帰国して城陽亭侯に封じられた。 同九年、李厳が責任転嫁の発言をして罷免される事件があったが、諸葛亮は蔣琬・董允に手紙をやって「陳震は以前、李厳には腹のなかに棘を抱えていると言っていた。私は棘に触れないようにすればよいと考えていたが、李厳があのような嘘八百を言うとは思わなかった」と言っている。 【参照】諸葛亮 / 蔣琬 / 孫権 / 董允 / 李厳 / 劉備 / 益州 / 兗州 / 函谷関 / 冀州 / 荊州 / 犍為郡 / 呉 / 徐州 / 城陽亭 / 蜀郡 / 蜀郡北部 / 司隷(司州) / 青州 / 南陽郡 / 汶山郡 / 武昌県 / 幷州 / 幽州 / 予州 / 涼州 / 衛尉 / 従事 / 尚書 / 尚書令 / 太守 / 亭侯 / 都尉 / 牧 |
陳震
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:17 UTC 版)
「私説三国志 天の華・地の風」の記事における「陳震」の解説
字は考起で、棐妹と同じ細作の一員。羽扇分解・棐妹帰参後に「頭」として初登場している。二日ほどかかる南屏山付近の詳細な地形調査を翌昼までに完遂しなければ自分も孔明も命が無い趣旨の劉備にしては珍しい厳命を受ける。赤眉の手から守るため、孔明を警護している。孔明の秘め事を諫めようとするも、断ち切れないと返される。
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