帰参後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 23:54 UTC 版)
伊東家へ帰参した後は、祐兵に従って文禄元年(1592年)から文禄・慶長の役に従軍。慶長5年(1600年)6月、祐兵が徳川家康による会津征伐に合わせて大坂へ上った際には国元で留守を預かり、同年9月の関ヶ原の戦いに応じた宮崎城攻めに伴う島津軍との合戦に参加している。慶長7年(1602年)には関ヶ原の戦い以降、家中での立場が悪くなっていた稲津重政に対しての処遇を松浦久兵衛、長倉戎祐と密談した上で松寿夫人(伊東祐兵室)へ報告、松寿夫人の指示によって重政は清武城で誅殺されている。 元和6年(1620年)6月3日、死去。享年77。
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