簡雍
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もとの姓は耿といったが、幽州の発音では耿を簡といったので改姓した。古くから劉備と付き合いがあった人で、劉備に従って各地を転々とする。つねづね劉備の話し相手となり、また使者として各地を往来した。劉備が荊州に入ると麋竺・孫乾とともに左将軍(劉備)の従事中郎に任じられる。 劉備が益州の涪城に入ったとき、益州牧劉璋は簡雍と話し合って彼を大いに愛した。のち劉備が劉璋と仲違いして成都城を包囲すると、簡雍は使者として劉璋に会い降伏を勧めたところ、劉璋は承諾して簡雍と同じ輿に乗って開城した。簡雍は昭徳将軍に任命された。 もともと簡雍は尊大な性格で、劉備がいる席でも、足を投げ出して脇息にもたれかかり思い通りに振る舞っていた。また諸葛亮らに対しても、長椅子に横たわったまま話をして彼らを座らせようともしなかった。 あるとき旱魃のため禁酒令が出されたことがあり、醸造道具を隠し持っていた者が処罰されることになった。簡雍は劉備と散歩しているとき一組の男女を指差しながら「彼らは姦淫を働こうとしています」と言上した。劉備が「なぜ分かるのか」と問うと、「その道具を持っているからです」と答えた。劉備は大笑いして醸造道具を持っていた者を釈放した。 【参照】諸葛亮 / 孫乾 / 麋竺 / 劉璋 / 劉備 / 益州 / 荊州 / 成都県 / 涿郡 / 涪県 / 幽州 / 左将軍 / 左将軍従事中郎 / 昭徳将軍 / 牧 |
簡雍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 06:28 UTC 版)
簡雍 | |
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蜀漢 昭徳将軍 | |
出生 | 生年不詳 幽州涿郡 |
死去 | 没年不詳 |
拼音 | Jiǎn Yōng |
字 | 憲和 |
別名 | 耿雍 |
主君 | 劉備 |
簡 雍(かん よう)は、中国後漢末期の政治家。字は憲和。幽州涿郡(河北省涿州市)の人。祖先は耿純、同族に耿武[要出典]。
生涯
元の本姓は“耿”だったが、幽州では“簡”と発音されていたので、改姓した[1]。
同郷出身の劉備とは、若い頃からの旧知の仲であった。黄巾の乱が発生すると、劉備・関羽・張飛・田豫らと共に義勇軍を結成し校尉の鄒靖に従って戦った。その後も常に劉備に随伴して共に各地を転々とした。劉備が荊州に入ると孫乾・糜竺と共に従事中郎となり、話し相手になったり使者を務めたりした。
劉備が益州に入ると、劉璋にその人柄を愛された。劉備と劉璋が対立すると、成都で抵抗する劉璋への降伏勧告の使者となった。劉璋は説得に応じ、簡雍と同じ輿に乗り城を出て、劉備に臣従した。
益州平定後は昭徳将軍に任命され、糜竺の次で孫乾と並ぶ待遇を受けた(「孫乾伝」)。
以降の事績は不明で、建安24年(219年)に劉備を漢中王へ推挙した群臣や、章武元年(221年)に劉備を皇帝へ推戴した群臣の中にも簡雍の名は見えない。
人物
簡雍は大らかで非常に落ち着いた性格であった。また傲慢な性格でもあり、劉備の前であってもだらしない振る舞いを止めなかった。諸葛亮らに対しても全く遠慮せず、自分だけ長椅子の上で寝そべったまま談笑することもあった。
旱魃で禁酒令が出ていた際、酒造道具を持っていたというだけで逮捕された者がいた。ある日、簡雍が劉備と共に市街を歩いていた時、簡雍は道行く男女を見て「あの二人は淫行の罪を犯そうとしているのに、何故捕らえないのですか」と尋ねた。劉備が「何故それがわかるのか」と尋ねると、簡雍は「あの者たちは淫行の道具を持っていますから」と答えた。劉備は大笑いし、酒造道具の所有者を赦すことにしたという。
三国志演義
小説『三国志演義』でも、劉備配下の文官の一人として登場し、彼の旗揚げから行動を共にする。長坂の戦いでは曹操軍の追撃による混乱の中で負傷し、動けなくなっているところを趙雲に発見され、命を取り留めている。また、劉璋の元へ降伏勧告の使者として赴いたときには、劉璋配下の秦宓に無礼を咎められ、素直に謝罪している。
脚註
- ^ 盧弼の『三国志集解』より。
簡雍
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「ランペイジ (漫画)」の記事における「簡雍」の解説
劉備軍の武将。小太りでドジョウヒゲをはやしているが、女言葉で喋るオカマである。劉備の正体を知る数少ない人物であることから、かなりの信頼をもたれているようである。戦闘では活躍する様子は見られないが、軍資金の管理などを任されている。
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簡雍
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簡雍(かん よう、字・憲和)
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「蒼天航路」の記事における「簡雍(かん よう、字・憲和)」の解説
鬼嚢時代から劉備に付き従っていたようだが、初登場は蜀への侵攻時。楽観的な性格で劉備のよき相談相手。劉璋から玉製の帯留めをくすねるなど盗っ人時代の癖が抜けていない。心のこもった言葉で劉璋に降伏を勧める。
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