耿武
字は文威。韓馥の別駕従事、のち長史《後漢書袁紹伝》。「耿彧」と書く本もあるが《袁紹伝集解》誤りだろう。 兗州刺史劉岱から書状を受け取った治中従事劉子恵は、その書状を冀州牧韓馥に差し出した。韓馥は「董卓は恐るるに足らず。彼が死んだら韓馥を討つべきだ」とするその内容に恐れを抱き、劉子恵を咎めたうえ斬首しようとした。当時、耿武は別駕従事であったが、劉子恵を出し抜いて自分が上に立つことを嫌がり、「いっそのこと自分たちも一緒に斬刑に処してくだされ、もし死罪を免れるなら、労役囚となって赤い着物で宮殿の門外を掃除いたします」と懇願した《後漢書袁紹伝》。 公孫瓚が冀州を侵犯したのに乗じ、袁紹が説客を遣して冀州譲渡を迫ると、長史耿武は別駕閔純・騎都尉沮授・治中李歴とともに韓馥を諫めた。「冀州は田舎ではありますが武装兵は百万を数え、兵糧も十年は持ちます。袁紹なぞは孤立して追い詰められ、我らが鼻息を窺っておる有様。譬えていえば手のひらの上の赤子のようなものです。乳をやらねば飢え死にさせることもできますのに、どうして冀州をくれてやろうとなさるのですか」。韓馥は聞き入れず、冀州牧の地位を袁紹に譲った《袁紹伝・後漢書同伝》。 袁紹が冀州に入城すると、十人の従事らは韓馥を見捨てて亡命しようとした。ただ袁紹の追っ手が心配であった。そこで耿武と閔純は刀を手に取って追っ手を拒んだが、防ぎきることはできなかった。のちに袁紹は田豊に命じて耿武・閔純を殺させた《後漢書袁紹伝》。 【参照】袁紹 / 韓馥 / 公孫瓚 / 沮授 / 田豊 / 董卓 / 閔純 / 李歴 / 劉子恵 / 劉岱 / 兗州 / 冀州 / 騎都尉 / 刺史 / 従事 / 治中従事 / 長史 / 別駕従事 / 牧 / 徒(労役囚) |
耿武
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:42 UTC 版)
「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「耿武」の解説
韓馥の幕僚。幕僚たちの中で唯一袁紹の企みを見抜き、韓馥を諌めるが聞き入れられなかった。袁紹が冀州に入った際に暗殺を試みるが、兵士らに滅多刺しにされて果てた。
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