甘夫人とは? わかりやすく解説

甘夫人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 15:29 UTC 版)

百美新詠図伝

甘夫人(かんふじん、生没年不詳)は、三国時代蜀漢の先主劉備の即位前の側室。諱は(めい)[1]豫州沛国の人。蜀漢の第2代皇帝である劉禅の母。劉禅が即位すると、皇后の位を追贈された(そのため甘皇后と呼ばれる場合がある)。

生涯

興平元年(194年)、劉備が豫州刺史として小沛に移住したころ、側室となった。劉備が何度も正室を失うと、甘夫人は身分の低さから側室のままであったが、最も長く連れ添っていたので、奥向きのことを取り仕切っていた。

建安12年(207年)、劉備に従って荊州に赴き、そこで劉禅を生んだ。建安13年(208年)、曹操の軍勢が南下し、当陽の長坂で追いつかれると、劉備は甘夫人と幼い劉禅を置き去りにし、逃走した。しかし劉禅と共に趙雲に保護され、難を免れた。

その後、時期は不明だが死去し、南郡に埋葬された。章武2年(222年)、甘夫人に皇思夫人として、益州に移葬することになった。しかし、柩がまだ到着しないうちに劉備が崩御し劉禅が即位したため、諸葛亮頼恭らと諡号を検討し、甘夫人に昭烈皇后と諡した上で、劉備と恵陵に合葬した。

なお厳密には、「昭烈」は甘夫人自身を示す諡ではない。皇后の追号と併せて「昭烈帝の皇后」という格式を表すものである。このため、自身に「穆」と諡された呉夫人は、『蜀書』において「穆皇后」と表記され、自身に諡のない甘夫人は「甘皇后」と表記されるのである。

人物・逸話

玉人のような色白の美貌をもっていたと記述されている。貧しい家で育ち、18歳のときに劉備の妾となった。そのとき、河南の人は劉備に美しい玉人を献上した。劉備は配下とともに昼に軍略を論じる。夜になると甘夫人を抱いて玉人を鑑賞した。他の寵姫は甘夫人だけでなく玉人を嫉妬した。その様子を見た甘夫人はその玉人が壊されることを望んでおり、劉備に「今の情勢は不安定です。こんなものを持ち囃している時ではありません」と諫言した。劉備は恥ずかしい思いをし、玉人を持って行った。当時の人は「神智婦人」と称賛した。(『拾遺記』)。

時代の『歴代百美図』や『百美新詠図伝』によると、中国歴朝で最も名高い美人百人に選ばれているる[2]

三国志演義

曹操が官渡の戦い前に徐州の劉備を撃破すると、関羽が甘夫人らの命の安全を誓うことを条件に投降している。その後、関羽が官渡の戦いで袁紹軍の顔良文醜を討ち取り義理を果たしたとして、甘夫人らを引き連れ荊州に向かった際には、山賊の杜遠に捕まってしまうが、関羽を尊敬していた廖化に助けられている。長坂の戦いでは、甘夫人は無事逃亡に成功している。赤壁の戦い後、甘夫人が既に亡くなっていることを知った周瑜は、劉備と孫夫人の婚姻を提案する。

参考資料

脚注

  1. ^ 『夔州府志』卷一四 陵墓:元代の「陳嗣源」が記す『昭烈甘皇后墓碑記』には「甘梅乃蜀先主之夫人也」とある。ただし、撰者の注に「此記語多不典似據衍義小説甘梅夫人之稱更属杜撰」とあり、名前の信憑性は非常に低いとする。
  2. ^ 大喬小喬孫夫人潘夫人、鄧夫人(孫和の寵姫)と共に三国時代の美人として挙げられている。

甘夫人(かんふじん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)

蒼天航路」の記事における「甘夫人(かんふじん)」の解説

劉備の室で、劉禅の母。長坂の戦いでは糜亀姸と同じ馬車にいたが、劉冀趙雲によって助け出される赤壁の戦いの後に死亡

※この「甘夫人(かんふじん)」の解説は、「蒼天航路」の解説の一部です。
「甘夫人(かんふじん)」を含む「蒼天航路」の記事については、「蒼天航路」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「甘夫人」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「甘夫人」の関連用語

甘夫人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



甘夫人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの甘夫人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの蒼天航路 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS