応璩とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 応璩の意味・解説 

応璩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/18 00:24 UTC 版)

応 璩(應璩、おう きょ、190年 - 252年)は、三国時代官僚文人休璉本貫豫州汝南郡南頓県(現在の河南省周口市項城市)。祖父は応奉。父は応珣。伯父は応劭。兄は建安七子の一人の応瑒。子は応貞・応純・応秀。孫は応詹(応秀の子)。

略歴

応璩は、博学好文で知られ、書記を善くした。曹丕曹叡のときには散騎常侍となり、曹芳が即位して暫くしてから、侍中・大将軍長史となった。時に曹爽が専断を行い、法に多く違反するようになると、応璩は、詩をもってそれを風刺したという。その詩は広く伝わり、文選にも、百一詩をはじめとした応璩の著作が撰録されている。後に侍中として復帰し、著作を司ったとある。劉知幾の『史通』古今正史篇には、魏の国史である『魏書』の編纂にも参画したと名前が残っている。

嘉平4年(252年)に没し、衛尉を追贈されている。

参考文献

  • 三国志』巻21 王粲伝注『文章叙録』
  • 史通』巻十二 古今正史篇



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  応璩のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「応璩」の関連用語

応璩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



応璩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの応璩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS