応永記
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ナビゲーションに移動 検索に移動『応永記』(おうえいき)は、応永の乱について書かれた軍記物。
作者、成立年代とも不詳であるが、応永の乱後まもない頃の成立。書き出しはこれまでの軍記物語とはやや異なり、「応永六年九月の比。客星、南方に出けるを陰陽師の頭有世、勘へ申しけるは、太白、ケイ惑と合い交わる九十日の大兵乱なり・・・」で始まる。また、書名は『大内義弘退治記』ともされ、異本に『堺記』がある。1399年(応永6年)9月から12月21日までの記録。堺での大内義弘と幕府の使者絶海中津とのやり取り、大内や幕府でのやりとり、陣の取り方などにも言及している。12月21日の堺城攻防戦と義弘の討ち死までを記す。
参考文献
- 『群書類従』第二十輯 合戦部(302-317頁)
- 松岡久人『大内義弘』戎光祥出版、2013年。
応永記
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この乱の内容は、軍記物語である『応永記』(別名『大内義弘退治記』)に記されている。作者や成立年は不詳だが、乱の終結からあまり時間をおかずに成立されたと推定される。別名の通り幕府(足利義満)側の視点で記録されているが、乱の史料として信憑性は高いとされる。写本として『堺記』がある。
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