成立から永吉村編入まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 14:01 UTC 版)
原良という地名は古くは室町時代より見え薩摩国鹿児島郡のうちであった。「西藩野史」や「応永記」によると応永20年(1413年)に島津久豊の居城である清水城を攻略した伊集院頼久は軍を原良の南西部丘陵の原良塁に構えたが、島津久豊は原良へ軍を進めて頼久の軍を討ち鹿児島を奪還した。 江戸時代には薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであり、原良村は鹿児島近在のうちの「近名」であった。村高は「天保郷帳」では839石余、「郡村高辻帳」では839石余であった。1871年(明治4年)に原良村が永吉村に編入された。 「永吉 (鹿児島市)」も参照
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