成立から安土桃山時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/16 06:30 UTC 版)
「問註所氏」の記事における「成立から安土桃山時代まで」の解説
『公卿補任』に「三善清行。淡路守従五位下氏吉の三男。母佐伯氏」とある三善清行の後裔の三善康信が鎌倉幕府の問註所執事となり筑後生葉郡に所領をえる。子の康俊が大友能直の後見として九州に同行する。 その孫の康行が正和2年(1313年)鎌倉から九州に下向し土着、筑後国生葉郡を領し、問註所康行と名乗ったのがはじまりである。 康行の後の氏康から政康の代は室町幕府奉公衆として足利将軍家から偏諱を賜っていたが、政康の子・綱康の代からは筑後豊後守護の大友氏被官として活躍、一時期を除いては代々大友氏当主からの偏諱を賜るようになる。問註所統景の代で大友氏没落により小早川隆景に仕官したという。
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