紀霊
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袁術の将。 『演義』では袁術配下の代表的な将軍とされるが、正史での記述はこれだけである。張勲・橋蕤らより下位にあったと思われるが、それでも歩騎三万人もの大軍を率いる立場にはあったのである。なお『演義』でも、袁術が皇帝を僭称したとき大将軍を張勲とし、橋蕤・陳紀を上将とし、紀霊は七軍の「救応使」(遊軍)ということになっており、紀霊の立場を安易に持ち上げていないことには好感が持てる。 劉備は東征して袁術を攻撃していたが、その留守をついて呂布が徐州を奪取した。劉備が撤退して呂布に降服すると、呂布は彼に小沛の守備を委ね、自分では徐州刺史を称した。そこで袁術は紀霊らを派遣し、歩騎三万人で劉備を攻撃させた。劉備が救援を求めてくると、呂布は「もし袁術が劉備を破ったなら北進して泰山諸将と連合するだろう。吾(わたし)は袁術に包囲されてしまう。助けないわけにはいかないぞ」と言って、歩兵千人騎兵二百人を率いて劉備を救援した《呂布伝》。 呂布は小沛の城外まで軍勢を進めると、人をやって劉備を陣営に招き入れ、同時に紀霊らを招聘して宴会を開いた。呂布は紀霊に言った。「劉備は呂布の弟です。弟が諸君のおかげで困っていたので助けにやってきました。呂布の性格は争いごとが好きでなく、争いごとをやめさせるのが好きなんです」《呂布伝》。 そして呂布は軍候に命じて陣門に一本の戟を突き立てさせ、弓を引き絞りながら振り返って言った。「諸君、呂布が戟の小枝を射当てるのを見ていてください。もし当たったならどちらも軍勢を解散してください。当たらなければそのまま勝負を付ければいいでしょう」。呂布が一矢放つと、まっすぐに戟の小枝に命中した。紀霊らは驚いて「将軍は天の威光そのものです!」と言った。翌日、ふたたび宴会を開き、そのまま引き揚げた《呂布伝》。 「弓を引き絞りながら振り返って言った」というのは『後漢書』の記述による。『三国志』では発言のあとで弓を引いたことになっている。 |
紀霊
紀霊(きれい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:45 UTC 版)
「まじかる無双天使 突き刺せ!! 呂布子ちゃん」の記事における「紀霊(きれい)」の解説
袁術の補佐天使で、袁術には「きーちゃん」と呼ばれる。器用貧乏。袁術のために養蜂をし、その蜂を溺愛していた。ホームステイ先のカレーショップマハラジャンの店長を洗脳したあと、カレーは自ら作っていたが、評判はよかった。呂布子に敗れた後は真剣にカレー屋修行にはげみ、現在マハラジャン店長を任されている。
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紀霊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:42 UTC 版)
「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「紀霊」の解説
袁術軍の武将。玄徳を討伐せんと小沛に攻め込むが、呂布の機転により撤退する。後に劉備が袁術を討伐する際は張飛と一騎討ちを行うが、敵わず斬られた。
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紀霊(き れい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)
袁術軍の武将。3万の軍を率いて劉備軍を攻め、下邳城近くまで追い込むが、呂布の仲裁によって退却することとなる。
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