紀静子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 05:05 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動紀 静子(き の しずこ、生年不詳 - 貞観8年(866年)2月)は、文徳天皇の更衣。正四位下右兵衛督紀名虎(贈大納言)の娘。従四位下紀有常・紀種子(仁明天皇更衣)の妹、南家藤原敏行母の姉にあたる。三条町(さんじょうのまち)と呼ばれた。
文徳天皇の東宮時代に入侍し、第一皇子惟喬親王・第二皇子惟条親王・斎宮恬子内親王・斎院述子内親王・珍子内親王の母となった。嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位後、更衣となった。惟喬親王は父天皇に期待されたが、静子が紀氏出身で後ろ盾を持たないため皇太子になれなかった。天安2年(855年)1月正五位下に叙された後、従四位上に昇叙された。貞観8年2月卒去[1]。
『古今和歌集』に1首入集(歌番号930)。
脚注
関連項目
紀静子(き の しずこ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 18:37 UTC 版)
「応天の門」の記事における「紀静子(き の しずこ)」の解説
業平の旧知。文徳帝の東宮時代から入内して寵愛を受け、第一皇子の惟喬親王や恬子などを産んだが、藤原氏より後ろ盾が弱く身分の劣る更衣だったため、息子は皇太子になれなかった。
※この「紀静子(き の しずこ)」の解説は、「応天の門」の解説の一部です。
「紀静子(き の しずこ)」を含む「応天の門」の記事については、「応天の門」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 紀静子のページへのリンク