紀難波麻呂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 15:19 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動紀 難波麻呂(き の なにわまろ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。贈従五位下・紀馬主の子。官位は従五位上・筑後守。
経歴
光孝朝の宝亀7年(776年)従五位下に叙爵し、刑部少輔に任ぜられる。宝亀9年(778年)左京亮に遷るが、翌宝亀10年(779年)周防守として地方官に転じる。
桓武朝初頭の天応元年(781年)従五位上に昇叙される。のち、延暦9年(790年)宮内大輔に任ぜられるが、翌延暦10年(791年)筑後守に転じ、再び地方官を務めている。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 宝亀7年(776年) 正月7日:従五位下。3月6日:刑部少輔
- 宝亀9年(778年) 2月23日:左京亮
- 宝亀10年(779年) 2月23日:周防守
- 天応元年(781年) 11月15日:従五位上
- 延暦9年(790年) 3月26日:宮内大輔
- 延暦10年(791年) 正月28日:筑後守
系譜
脚注
参考文献
- 紀難波麻呂のページへのリンク