実恵とは? わかりやすく解説

実恵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/07 05:24 UTC 版)

実恵(じちえ/じつえ・実慧延暦5年(786年)?[1]- 承和14年11月13日847年12月24日))は、平安時代前期の真言宗。空海の十大弟子の一人。 俗姓は佐伯氏、讃岐国の出身で空海の一族。檜尾僧都・道興大師とも称される。初代東寺長者とされている。




  1. ^ 享年62説による。享年を63、61とする説もあり、生年は定かでない。
  2. ^ 智灯『弘法大師弟子伝』、道猷『弘法大師弟子譜』では大安寺泰基となっているが、貞観9年に恵運が記した「安祥寺伽藍縁起資財帳」(平安遺文1-164)に「東大寺泰基」とあるほか、『高野雑筆集』所収の「両相公」宛書簡に「東大杲隣・実恵」とあり、実恵が東大寺を本寺としていたことが明らかなので、東大寺が正しい。
  3. ^ 入滅の日について、他に12月12日、10月など諸説ある。国史に実恵の死亡記事はないが、この年の12月2日に律師長訓が少僧都になっているので、11月までに死去したとみられる。
  4. ^ 「本朝伝法灌頂師資相承血脈」(『大日本古文書』家わけ19、醍醐寺文書之一、279号)所載。


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実恵

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実恵 (浄土真宗)」の記事における「実恵」の解説

天文5年5月4日1536年5月23日)は、戦国時代浄土真宗僧侶願証寺2世。諱を兼幸。幼名光智通称右衛門督蓮淳次男。母は滋野井教国の娘・妙蓮。実淳(顕証寺住持)の弟。正室勝恵の娘・向。子に証恵、延深(恵光寺住持)、証淳(実淳養子顕証寺住持)などがいる。

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