創建と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 04:41 UTC 版)
本願寺8世蓮如の6男蓮淳により、少なくとも明応10年(1492年)までに、香取庄中郷杉江の地に創建された。あるいは、法泉寺(現・桑名市多度町香取)を開いた信慶の次男信祐により、文永元年(1264年)に開山され、願証寺の号は本願寺3世覚如より与えられたともいわれる。なお、当初の願証寺主は法泉寺主が兼帯しており、蓮淳は空誓(法泉寺7世)の娘を室とする願証寺の堯恵から寺を譲られたという伝承がある。また堯恵に子が無かったため、空誓らの請願によって蓮淳を堯恵の養子に迎えたとも伝わり、蓮淳の入寺は明応6年(1497年)ともされる。 蓮淳は本願寺9世実如・10世証如に近侍し、長島への常住ができなかったため、永正8年(1511年)9月頃までには、蓮淳の次男実恵が常住するようになったと見られる。そして、天文3年(1534年)までは伊勢国、以降は美濃国・尾張国を加えた東海三ヶ国の本願寺門末を支配するようになった。また、蓮淳が証如の外祖父でもあったことから、本願寺教団中枢においても重きをなした。2世実恵は天文5年5月4日(1536年5月23日)に死去したが、その翌年までに寺は中郷杉江から長島城に近い南郷西外面付近へ移転した。 永禄3年(1560年)、3世証恵の代には、前年に本願寺第11世顕如が准門跡に補されたことに伴い、多数の本願寺一門衆に先駆けて、河内顕証寺、播磨本徳寺とともに、院家を勅許された。
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