創建と歴史とは? わかりやすく解説

創建と歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 06:14 UTC 版)

用津院」の記事における「創建と歴史」の解説

甲斐国志』『甲斐国社記・寺記』によれば室町時代文明6年1474年)に「小山田耕雲」を開祖笛吹市一宮町広厳院開山岫宗竜の法嗣岳宗俊を開山創建される。 岳は国中において甲斐市亀沢天沢寺創建しており、用津院開創郡内における峨山法系寺院展開と評価される。岳は延徳4年1492年)に死去し当寺において埋葬された。 開祖小山田耕雲」は郡内小山田氏当主で、『甲斐国志草稿』では『勝山記』に見られる小山田弥太郎小山田平三弾正)を候補として挙げているが、小山田信長比定されることが指摘される。これは、元亀2年1571年)に戦国期の小山田氏当主小山田信茂都留市下谷長生寺寄進した寺領記した安堵状拠るもの。この安堵状では小山田氏歴代法名記されており、この中に「義山」の先代として「耕雲」の名が記されている。信長次代当主として登場する弥太郎法名は『隠録』から「義山」と確定されるため、「耕雲」は先代信長考えられている。 戦国期には、永正8年1511年)に小山田信有(出羽守)長生寺創建する際に、当寺三世一道光円を開山招聘したという。この際一道は信有に岳を開山推薦し一道の師積長生寺二世とし、自身長生寺三世となったといわれ、用津院長生寺末寺となる。 近世には慶長6年1601年)に郡内領主鳥居成次寺領2石8斗を寄進した(「長生寺文書」)。江戸時代には玉泉院正観院積善院観音寺末寺有していた。当寺には天保7年1836年8月甲斐国起こった甲斐一国規模一揆である天保騒動の際に使用されたと考えられている竹槍伝来しており、約900字の文章で騒動の発端から判決に至る経緯記されている。

※この「創建と歴史」の解説は、「用津院」の解説の一部です。
「創建と歴史」を含む「用津院」の記事については、「用津院」の概要を参照ください。

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