創建と移転(1601-1710)
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「英巌寺」の記事における「創建と移転(1601-1710)」の解説
慶長6年(1601年)、戸田尊次は田原藩1万石を得て、三河国田原城主となった。同年、田原城内に英巌寺が建立された。開山は雪叟である。寺名の「英巌」は、尊次の父・戸田忠次の法号「英巌寺殿」から取ったものである。 田原藩3代藩主の戸田忠昌は寛文4年(1664年)に肥後国富岡に転封となり、天和2年(1682年)に武蔵国岩槻、貞享3年(1686年)に下総国佐倉へと移った。更に忠昌の子・戸田忠真は元禄14年(1701年)に越後国高田へと所替えになった。戸田氏は移封の都度、英巌寺を移動させたので、これら転封先にも英巌寺が建てられた。高田時代には白隠慧鶴が英巌寺に入門し、性徹(しょうてつ)和尚の下で、師は認めていないものの大悟を得たと自称した。この時の白隠は大悟したことに慢心しており、信濃国飯山の正受庵の道鏡慧端から厳しい手ほどきを受けて、真の悟りの境地に至った。
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