創建に至るまでとは? わかりやすく解説

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創建に至るまで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 03:48 UTC 版)

台北稲荷神社」の記事における「創建に至るまで」の解説

台北稲荷神社は、1910年明治43年3月20日台北市粟倉口街(現在の桂林路、華西街、環河南一帯にあった豊川稲荷分院内に祀られていたという穴守稲荷分社を、西門市場勧請したのが始まりである。本祀である東京羽田穴守稲荷神社は、東京周辺稲荷信仰拠点として明治以降大きく発展していた神社であり、台湾へ移住した日本人商人の間でも、商売繫昌の神として崇敬集めていた。 その後同年4月1日には、穴守稲荷神社から改め正式な分霊承認を受け、台湾総督府より創建為の寄付金集め許可受けたまた、同時期に台湾神社修繕事業行っていたので、台湾神社古材の撤下も申請している。 同年11月下旬より、基礎工事が行われる。元々は市場隣接した墓地であったので、土地全体掘り起こし、土を取り除いて新たにきれいな土を補充して神社祀るのに相応し土地とした。そして、11年29日には地鎮祭大々的に斎行された。 1911年明治44年2月11日には、上棟祭が斎行され、合わせて社号が「穴守稲荷神社」から「台北稲荷神社」と改称された、改称詳細な理由判明していないが、一説には、台北における稲荷信仰中心地になる事を期待されたためと云われる。 当初同年3月1日初午)に鎮座祭を行う予定であったが、発起人側や井村台北庁長の都合により、最終的に6月延期された。また、総工費1万円現在の貨幣価値数千万円)は民間人からの寄付金用いられ400坪の境内地用材全て無節用いて本殿・拝殿社務所3棟建立された。 同年6月24日 - 鎮火祭・新殿祭が斎行される。 同年6月25日 - 鎮座祭大祭式が斎行される。本来は、鎮座祭鎮火祭・新殿祭と同日行い大祭式は翌日に行うのが故実だが、炎暑中2日間にわたる祭典は、参列者の負担になることから、午前中に鎮座祭午後に大祭式という形が取られた。 もちひつく 稲荷の神の さきはへて 里はいよいよ にきひゆくらむ — 台湾神社宮司 山口 透、台北稲荷神社創建寄せた和歌 高砂の 里を守り宮柱 たててしつめつ 豊受の神 — 三村ひでを、台北稲荷神社創建寄せた和歌 同年10月22日には、寄附金等の行きがかり上、発起人をはじめとした民間管理していたが、全て台北庁引き渡し今後台北庁管理することになった例月1・15日の祭日の他、25日遷座記念祭日として毎月同日祭日とした。

※この「創建に至るまで」の解説は、「台北稲荷神社」の解説の一部です。
「創建に至るまで」を含む「台北稲荷神社」の記事については、「台北稲荷神社」の概要を参照ください。

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