東京周辺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:00 UTC 版)
東京の高級将校用慰安所として、1945年10月20日に墨田区向島に「迎賓館大蔵」が、11月に世田谷区若林に「RAAクラブ」の二箇所が設置されたが、1946年8月に占領軍が接収した。一般兵士用慰安所として東京都品川区大森海岸に、小町園、楽々、見晴、波満川、蜂之喜、花月、やなぎ、乙女、清楽、日の出などの割烹旅館が、多摩地区では福生営業所(福生町)、調布園(調布町)、西多摩郡三田村にキャバレーも兼ねる「楽々ハウス」などが、立川市にキャバレー富士、三鷹町にキャバレーも兼ねるニューキャッスルなどが慰安所として設置された。 RAAのうち東京のある慰安所では、和服女性150人をそろえてアメリカ兵を受け入れると初日に47人もの相手をした女性もいた(報酬は2ドル)。 慰安所の他に、RAAではキャバレーやビヤホールも設置され、そこで日本人女性と出会うような仕組みとなっていた。銀座のキャバレーとしては千疋屋、「オアシス・オブ・銀座」、木挽町の歌舞伎座別館にクラブエデンが開設され、他、銀座のビヤホールとしてはエビスビヤホールなどが開設され、このほか港区高輪のパラマウント、赤羽の赤羽会館(赤羽キャバレー)などがRAA関連施設として開設された。これらのRAA施設の他、花柳街など民間の風俗施設も興隆し、たとえば東京中野区の新井町の花柳街は占領軍一色であった。 救世軍は1947年4月に東京都の委託で立川に「特殊婦人保護施設 新生寮」、6月に大阪府の委託で「西成朝光寮」を開設している。
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