東京吉本へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 09:31 UTC 版)
当時の福岡吉本では所長の方針で、「事務所の許可なしに芸人自身の判断で東京の事務所へ移籍することは認めない」というものがあり、どうしても上京したい芸人は「吉本を辞め、東京の芸能事務所のオーディションを受けて入り直す」のが慣例であった。これに倣って2人は上京するために一度吉本を辞めて、活動の拠点を東京に移した。 上京して間もない頃は、吉本にこだわらず東京中の芸能事務所のオーディションに参加していた。それから少し経って東京へ転勤になったその福岡吉本所長から謝罪を受け、「吉本の新しい劇場(ルミネtheよしもと)がもうすぐ完成するから、もう一度吉本に来い」と誘われて再び吉本入りを決意。ルミネの誕生と共にルミネの舞台へ立ち続けている数少ない芸人でもある。 結成から2年後の2003年、NHK『爆笑オンエアバトル』に初出演し番組記録タイとなる高得点をマーク(詳細は後述)。一躍コアなお笑いファンの注目を集める存在となる。その後も同番組へ出演し続け屈指の強豪として知名度は上昇、同番組を支える1組となった。 第2回、第3回お笑いホープ大賞において決勝進出。第2回大会の決勝では珍しくコントを披露するもネタの途中で女装していた佐藤のパンツが見えてしまい、それを見た黒瀬が笑ってしまって後半のネタがおかしくなり優勝を逃した。
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