全国区進出とは? わかりやすく解説

全国区進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:12 UTC 版)

ぜんじろう」の記事における「全国区進出」の解説

1992年秋、毎日放送から関西ローカル深夜番組テレビのツボ』の司会の話が持ちあがり、ぜんじろうは、大桃美代子藤岡久美子コンビ組んで司会者として活動開始する。「放送時間はド深夜」「超低予算の手作りセット」「破格に安いギャラ」という悪条件揃っていたが、徐々に若者人気博していき、結果テレビのツボは、関西一円での人気番組となった。このテレビのツボ成功によって毎日放送は、月曜日から金曜日夕方16時17時時間帯にて、ぜんじろうメイン司会起用し同じく大桃藤岡コンビを組ませて、屋台の目ぇという情報番組開始したぜんじろうへの期待大きく吉本毎日放送から「平成明石家さんま」という触込み大々的売り出され全盛時のレギュラー本数17本を獲得した1995年からは東京進出し、『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のレギュラーや、『ぜぜぜのぜんじろう』、『東京Jr.ジャンク』のメインMCなど、全国ネットレギュラーを持つようになり、大阪吉本から東京吉本へ移籍した。 しかし、東京業界人求めるものと、ぜんじろう資質との間には元々大きなギャップがあったことから、東京抱えた番組全て降板するになった。「関西成功したぜんじろうに、東京テレビマンは、何をさせたらいいのかよくわからなかった」のである。「関西司会者として大成功しているらしい」という前評判だけがあり、ぜんじろうスタイルがわからなかった。「平成明石家さんま」という触込みから、「さんまのものまね芸人」や「さんまのようなMCスタイル芸人」なのだろうと誤解されその手仕事割り振られたのも、うまくいかなかった一因となった。「上岡龍太郎弟子」として、知性的な毒舌タレント役割期待され仕事もあったが、それもハマらなかった。 当時ぜんじろうには「あかん。仕事うまくいかへん」という自覚強くあったが、東京吉本移籍してきて結果出したい焦りと、自分についたマネージャー新人だったという事もあり、自分に来た仕事全て受けてしまった。関西ぜんじろうは「気さく明るく、よく喋る、親近感のあるお兄ちゃんキャラ」だが、これが東京では「馴れ馴れしいはしゃぎすぎ、うるさい人」という低評価になり、ぜんじろう自身東京対すアウェー感も拭えず、空回り続けた最終的には、テレビ局に入るとすぐに楽屋入りしてひたすら1人引きこもり出番までは誰とも一切コミュニケーションとらないように行動出番終えたらすぐに帰宅して自宅引きこもるという状態に陥る関西からナインティナイン・ロンドンブーツ1号2号本格進出し東京爆笑問題ネプチューンらのボキャブラ芸人ブレイクすると、ぜんじろう東京テレビから姿を消した

※この「全国区進出」の解説は、「ぜんじろう」の解説の一部です。
「全国区進出」を含む「ぜんじろう」の記事については、「ぜんじろう」の概要を参照ください。

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