テレビのツボとは? わかりやすく解説

テレビのツボ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/28 01:39 UTC 版)

テレビのツボ』は、1992年10月6日(5日深夜)から1995年9月30日(29日深夜)まで毎日放送で放送されていた情報バラエティ番組である。全715回[1]。毎週月曜深夜から金曜深夜の週5日間、大阪うめだ花月シアター(後のうめだ花月)からの生放送


  1. ^ 『テレビのツボ』最終回のオープニングトークより。
  2. ^ a b c 日本民間放送連盟編「テレビの楽しさを伝える無局籍番組 毎日放送」『月刊民放』第24巻第5号、日本民間放送連盟、1994年5月1日、20 - 21頁、NDLJP:3471101/11 
  3. ^ 吉村智樹. “ぜんじろう 旅の途中 プロローグ 「ぜんじろうは“消えた”のか?」”. 2007年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月15日閲覧。
  4. ^ 『テレビのツボ』青心社、186頁。 
  5. ^ 吉村智樹. “ぜんじろう 旅の途中 第二十一回 苦悩の東京進出”. 2007年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月15日閲覧。
  6. ^ a b c 吉村智樹. “ぜんじろう 旅の途中 第十八回 「パチステ交換会」に長蛇の列”. 2007年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月15日閲覧。
  7. ^ 関連書籍『テレビのツボ』に掲載の「チャンネル君大名鑑」にもあるように、歴代のチャンネル君たちのうちのおよそ5割は女性で占められていた。
  8. ^ アップダウンクイズ』『あどりぶランド』『クイズ!!ひらめきパスワード』などのタイトルロゴも手掛けた人物。
  9. ^ a b 当初は金曜ディレクター、後にプロデューサー。
  10. ^ 当時ぜんじろうのマネージャーを務めていた吉本興業の社員。
  11. ^ 『テレビのツボ』青心社、表紙カバー頁。 折り返し部分にその当時の様子を収めた写真が掲載されている。
  12. ^ その後も1993年7月17日(16日深夜)放送分までスタジオセットとして使われ続けていたが、その翌週に新セットの大蛸のバルーンが導入されたことによって完全に撤廃された。
  13. ^ ぜんじろうが、兄弟子テントを紹介している。
  14. ^ a b 『テレビのツボ』青心社、181頁。 
  15. ^ イベント第2弾「西川キーぼ〜ん in 夏休み キーホルダー交換会」開催前の1993年7月20日(19日深夜)放送分で、イベント開催告知VTRの放送直後にぜんじろうと大桃が発言。
  16. ^ 『テレビのツボ』青心社、102頁。 
  17. ^ 『マイコンBASICマガジン』1995年11月号付録26頁。
  18. ^ “ぜんじろう 師匠・上岡龍太郎さんの追悼番組で号泣「何も返せていない」「ずっと僕の味方をしてくれた」”. スポーツニッポン. (2023年6月15日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/06/15/kiji/20230615s00041000491000c.html 2023年6月19日閲覧。 
  19. ^ 検索結果 テレビのツボ・スペシャル - 放送ライブラリ公式ページ”. 放送ライブラリー. 2011年7月6日閲覧。


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