東京吉本の再興と地方への進出(昭和55年 - )
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「吉本興業ホールディングス」の記事における「東京吉本の再興と地方への進出(昭和55年 - )」の解説
そして吉本興業は1980年、木村政雄を所長として東京連絡事務所(のちに東京支社、さらに東京本社に格上げ)を設置、東京吉本の再興にも乗り出した。1980年代は純粋な東京吉本出身の芸人は野沢直子ぐらいであったが、1990年代以降、吉本が「銀座7丁目劇場」「渋谷公園通り劇場」「ルミネtheよしもと」「神保町花月」「よしもとプリンスシアター」と次々と東京に劇場をオープンさせたことに加え、吉本総合芸能学院(NSC)の東京校が開校したこともあり、ロンドンブーツ1号2号、ペナルティ、品川庄司、ロバート、インパルス、森三中、オリエンタルラジオなど、東京吉本出身の芸人が続々と育ち、2000年代初頭からテレビを席巻するようになった。現在東京吉本は、新宿区新宿(花園神社隣)に本社ビルを構え(2008年に神田神保町から移転)、所属の芸人数、社員数、売上高などから見ても、大阪吉本と肩を並べる存在である。 さらに吉本興業は1980年代末以降、名古屋、福岡、札幌、広島に支社または事務所を続々と開いていき、地方のテレビ局への食い込みを図るとともに、ローカルタレントの育成にも乗り出した。岡山や仙台のように撤退することになった地方もあったが、そうした地方の吉本所属のローカルタレントの中から、札幌吉本出身のタカアンドトシ、アップダウンや福岡吉本出身の博多華丸・大吉、バッドボーイズのように、全国区で活躍する者も出てきている。
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