封号とは? わかりやすく解説

封号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/11/02 00:01 UTC 版)

封号(ほうごう)とは、授封ないし冊封に当たって授与する爵位であり称号爵号(しゃくごう)とも。

中国の冊封

特に近隣諸国を自らの属国と見做し、対外関係は原則として朝貢による外交・通商関係しか認めなかった中国では歴代の中華王朝が近隣諸国の君主に封号を与え、朝貢を受ける代償として通交を許可した。日本史上では卑弥呼から、親魏倭王に封ぜられ、倭の五王の時代には大王が倭国王及び将軍号を封号として授けられたことが記録されているなど、その慣習は古くから確認できる。

中世以降も中国はなどの各王朝が朝鮮ベトナム皇帝日本征夷大将軍琉球王国御主に対して朝鮮国王や安南国王日本国王琉球国王の封号を授け、周辺諸民族に対してはその民族固有の君主号を漢字表記して単于号を授けることなどがなされた。或いは、建国の功臣を諸侯に封ずる場合にもなどの爵位を封号として授けた。

通常、君主号はその国や民族の言語において由緒ある美称を以って称するのが一般的であるが、蔑称を封号として付与する例もあったり、あるいは中国の臣下であることを表示する封号を殊更称することを潔しとしない気分も、中国の周辺国には少なからずあった。そこで、中国やその属国との外交通商における外交称号としてのみ封号を称し、内政には用いられない類の称号であった。

ヨーロッパの封号

ヨーロッパでは、ドイツフランスイギリスなどで皇帝ないし国王諸侯に対して授ける爵位が封号にあたる。

関連項目


封号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:18 UTC 版)

孔子」の記事における「封号」の解説

孔子没後孔子に対して時の為政者から様々な封号が贈られた。 孔子の封号一覧時 代贈った為政者封 号年月西暦春秋時代 哀公(魯) 尼父 哀公16年4月紀元前479年前漢 平帝実質王莽差し金) 褒成宣尼公 元始元年5月1年北魏 孝文帝 文聖尼父 太和16年2月492年北周 静帝 鄒国公 大象2年3月580年隋 文帝 先師尼父 開皇元年581年唐 太宗 先聖 貞観2年628年) 宣父 貞観11年637年高宗 太師 乾封元年1月666年武則天武周) 隆道公 天授元年690年玄宗 文宣王 開元27年739年北宋 真宗聖文宣王 大中祥符元年11月1008年至聖文宣王 大中祥符5年12月1012年) 元 成宗 大成至聖文宣王 大徳11年7月1307年) 明 世宗 至聖先師孔子 嘉靖9年1530年清 世大成至聖文宣先師孔子 順治2年1645年至聖先師 順治14年1657年中華民国 国民政府 大成至聖先師 民国24年1935年

※この「封号」の解説は、「孔子」の解説の一部です。
「封号」を含む「孔子」の記事については、「孔子」の概要を参照ください。

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