天水郡とは? わかりやすく解説

天水郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 17:26 UTC 版)

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天水郡(てんすい-ぐん)は、中国にかつて存在した漢代から唐代にかけて、現在の甘粛省天水市一帯に設置された。

概要

紀元前114年前漢元鼎3年)、天水郡が置かれた。天水郡は涼州に属し、平襄・街泉・戎邑道・望垣・罕幵・綿諸道・阿陽・略陽道勇士・成紀・清水・奉捷・豲道・蘭干の16県を管轄した。王莽のとき、填戎郡と改称された[1]

後漢が建てられると、天水郡の称にもどされた。74年永平17年)、天水郡は漢陽郡と改称された。冀・望垣・阿陽・略陽・勇士・成紀・隴・豲道・蘭干・平襄・顕親上邽西の13県を管轄した[2]

三国魏の初年に、天水郡の称にもどされた。

のとき、天水郡は秦州に属し、上邽・冀・始昌・新陽・顕親・成紀の6県を管轄した[3]

北魏のとき、天水郡は上封・顕親・平泉・当新の4県を管轄した[4]

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、天水郡は秦州と改められた。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、秦州は天水郡と改称された。上邽・冀城・清水・秦嶺・隴城・成紀の6県を管轄した[5]

619年武徳2年)、唐が薛挙を平定すると、天水郡は唐の秦州となり、総管府が置かれた。742年天宝元年)、秦州は天水郡と改称された。758年乾元元年)、天水郡は秦州と改称され、天水郡の呼称は姿を消した[6]

脚注

  1. ^ 漢書』地理志下
  2. ^ 後漢書』郡国志五
  3. ^ 晋書』地理志上
  4. ^ 魏書』地形志二下
  5. ^ 隋書』地理志上
  6. ^ 旧唐書』地理志三




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