天江富弥
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天江 富弥(あまえ とみや、1899年(明治32年)3月[1][注釈 1] - 1984年(昭和59年6月22日[3])は、日本の児童文化研究家、郷土史家、こけし収集家。本名は「天江富蔵」[3]。日本最初の炉端焼きとされる飲食店を太平洋戦争後に開き、その店主であった事績でも知られる。
経歴
宮城県仙台市出身[3]。大崎八幡宮の御神酒の蔵元「天賞酒造」を営む7代目天江勘兵衛の三男として生まれる[2][4][5][注釈 2][注釈 3]。本名の「富蔵」は生まれた年に大きな蔵が建設されたことから付けられた(その蔵は「富蔵(とみぐら)」と呼ばれたという)[5]。年齢的にはまだ子どもだった1910年に、天賞酒造は買収した近隣の酒造場を富弥(富蔵)の名義で操業開始した[8]。
市立仙台商業学校(現・仙台市立仙台商業高等学校)を経て[9]、1920年(大正9年)に明治大学商科を卒業し、翌1921年(大正10年)に仙台市でスズキヘキ[注釈 4]とともに結成したおてんとさん社から童謡雑誌『おてんとさん』を創刊した[3][11]。富弥は商業学校時代から竹久夢二の作品を愛好して[5][12]、後に夢二と交流を持ち、『おてんとさん』にも夢二の作品が載っている[13]。
夢二のほかには、野口雨情や山村暮鳥[14]、草野心平[要出典]、石川善助(商業学校の後輩)[9][15][注釈 5]、など幅広い交友関係を持っていた。
1923年4月に、自身の名義だった近隣の酒造場が「天江酒造合資会社」の名で企業化され[8]、出資者の一人として1万円を拠出した形になった[17]。
1927年(昭和2年)1月には仙台市の文化横丁に郷玩店「小芥子洞」を開業し、1928年(昭和3年)にこけしを体系的に扱った日本初の文献『こけし這子の話』を上梓した[18][19][20] 。郷土玩具蒐集家でもあった童画家の武井武雄は、1930年に刊行した『日本郷土玩具 東の部』の序文で、こけしについては富弥から援助を得たと記している[20][21]。
1930年4月に父の勘兵衛が天江酒造の代表を退いた際に、父から出資額5000円を譲渡され、兄(安治郎、代表となり、2か月後に「勘兵衛」を襲名)とともに無限責任社員となった[22]。
こけし蒐集家の橋本正明によれば、富弥は結婚後に上京して、まず銀座に天賞酒造の問屋を開いた(1930年)[20]。これは実家の酒の拡販が目的だったが、失敗に終わった[23]。次に、直接酒を味わってもらうため「勘兵衛酒屋」を上野(1933年)を皮切りに、銀座、新宿、池袋に開いた[5][23]。富弥は各店舗を巡って切り盛りし[23]、高村光太郎や太宰治、棟方志功らが常連となった[5]。「勘兵衛」の店内にはこけしを飾る棚を置き(上野→銀座に移設)、銀座店にはこけし愛好家が集まるようになってのちに「東京こけし会」が富弥も発起人となる形で結成された[20]。しかし店舗が戦争で被災したため仙台に引き揚げる[23]。
1950年(昭和25年)に仙台花柳界の中心地・本櫓丁に開いた郷土酒亭「炉ばた」は、炉端焼きの発祥の店とされる。同店のマッチラベルは棟方志功が描いた。仙台の文化人・趣味人でもある富弥と、囲炉裏を囲んで会話を楽しむサロン的な店だったとされる[2]。 開店祝いに知人が大きな木べらをプレゼントしたが、骨董品が多く飾られた店内でこの木べらだけは飾られることなく、客に酒や料理を差し出す柄付きの盆のように使用された。これが後に全国に広まる炉端焼きの特徴の1つになった。[要出典]店の常連客だった人物によると、店内で富弥は「おんちゃん」や「富おん」と呼ばれていたという[2]。富弥は店で出す食材の調達にも手間をかけ、築地市場にも夜行列車で出向いて必要な物を購入するとすぐに仙台にとって返した[23]。また天賞酒造が東北の酒蔵では初となる濁り酒「太白山」を1970年に製造すると「炉ばた」でそれを提供し、富弥の話と「太白山」の取り合わせは来店者に強い印象を与えたとされる[24]。
郷土史家でもあり、後に宮城県民藝協会の初代副会長も務めた[26]。郷土史家としての功績により、河北新報社の「河北文化賞」を受賞している[11]。
死去から38年が経過した2022年5月に、かつての天賞酒造の建物を移築した八幡杜の館において、「天江富弥展」が開催された[27]。
著書
- 天江富弥『こけし這子の話』天江富弥、1928年1月10日 。(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
親族
外交官の天江喜七郎は甥(兄の子息)[28][29]。また妹のきくは箱守仙一郎の母に当たる[30]。
脚注
注釈
- ^ 島内義行は「3月22日」とする[2]。
- ^ 富弥の続柄について、仙台放送ウェブサイト記事は「次男」とするが[6]、誤記として扱う(ただし、富弥が成長した時点で兄が安治郎=8代目勘兵衛しかいなかったことも事実である[1])。
- ^ 天賞酒造は大崎八幡宮の催し「仙台裸参り」に氏子総代として参加していた。しかし経営不振から創業地を売却し、翌年に仙台市に隣接する柴田郡川崎町に本社・工場を移転して社名も「まるや天賞」に改称した[7]。さらに2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に被災したことで会社は存続させるものの、醸造業務は断念し、「天賞」「獨眼龍政宗」の商標権を中勇酒造店(加美町、主要銘柄:「天上夢幻」)に売却、同年6月に酒造免許の取り消し申請をした[7]。川崎町の土地と建物などは、被災した新沢醸造店(大崎市、主要銘柄:「伯楽星」)の部分移転先となった[7]。
- ^ 本名・鈴木栄吉で「鈴木碧」「鈴木雋」の筆名も用いた[10]。
- ^ 石川は森荘已池の案内で宮沢賢治を訪問したことがあったが、このとき同行したと富弥が戦後に話していたことを詩人の斎藤庸一が著書に記している[16]。
出典
- ^ a b 人事興信所 編『人事興信録』(7版)人事興信所、1925年、あ80頁 。(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d 島内義行「心の一駒」『随筆集 ~ むんつん閑語』黒潮社、1993年11月 。
- ^ a b c d 「天江富弥」『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ 。コトバンクより2025年2月14日閲覧。
- ^ 西大立目祥子「広瀬川の記憶 vol.2 「河童祭り」を戦後に伝えた天江富弥」 - 仙台市建設局『河水千年の夢』2004年9月6日
- ^ a b c d e 仙台市教委 2006, pp. 121–122.
- ^ VOL.5 ゆったりと流れる時間\に乾杯! - ウェイバックマシン(2017年1月12日アーカイブ分) - 「とうほく食文化応援団」(仙台放送)2015年6月24日放送
- ^ a b c “まるや天賞醸造断念 震災で設備損傷 中勇に商標権譲渡”. 河北新報. (2011年7月16日). オリジナルの2011年7月19日時点におけるアーカイブ。 2015年9月14日閲覧。
- ^ a b 仙台市教委 2006, p. 85.
- ^ a b 仙台文学館 [@sendailit]「【石川善助とおてんとさん】」2024年5月11日。X(旧Twitter)より2025年2月19日閲覧。
- ^ スズキヘキの略歴を知りたい。 - 国立国会図書館レファレス事例詳細(宮城県図書館によるもの、2009年12月3日(2025年2月22日閲覧)
- ^ a b 196 天江富弥(あまえとみや)の童謡詩碑 - ウェイバックマシン(2023年9月25日アーカイブ分) - 太白区区民部まちづくり推進課内・太白区まちづくり推進協議会「ディスカバーたいはく5号」
- ^ 日本児童文学学会(編)『児童文学事典』東京書籍、1988年、p.21(リンク先は千葉大学アカデミック・リンク・センターによる電子版)
- ^ 竹久夢二・詩と絵の世界―愛と、ロマンと、漂泊と - 仙台市文学館(2015年9月)
- ^ 天才童謡詩人 スズキヘキ 仙台で日本初の童謡専門誌を創った男 - ウェイバックマシン(2014年8月25日アーカイブ分) - 「ほっとネットとうほく」(東日本放送、2006年1月28日放送番組の案内)
- ^ 開館25周年記念特別展「詩人・石川善助をたずねて~北方への道のり」 - 仙台文学館(2024年4月)2025年2月13日閲覧。
- ^ 斎藤庸一『詩にかける橋』五月書房、1972年、p.219
- ^ 『官報』 大正13年3月17日、p.241(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 高橋五郎『癒やしの微笑み 東北こけしの話』河北新報出版センター、2014年9月、p.2 ISBN 978-4-87341-327-3
- ^ 「こけしの語源と素材 (PDF) 」『要説 宮城の郷土誌』仙台市民図書館、1980年、p.137
- ^ a b c d こけし蒐集家という人達 - 木人子室(こけし蒐集家・橋本正明のウェブサイト)
- ^ 武井武雄『日本郷土玩具 東の部』地平社書房、1930年1月20日 。(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『官報』 昭和5年9月30日、p.760(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e 仙台市教委 2006, pp. 157–158.
- ^ 仙台市教委 2006, pp. 96–98.
- ^ 永六輔『奇人変人御老人』文芸春秋、1974年、[要ページ番号]
- ^ 小正月にちなみ 餅花の思い出 - 民芸みやぎ(宮城県民藝協会、2012年1月14日)
- ^ 2022年5月6日の投稿 - 八幡杜の館facebook
- ^ 一般社団法人日本外交協会宮城県支部国際情勢講演会in仙台 【開催要綱】 - 038(おみや)PRESS(2024年2月)2025年2月25日閲覧。
- ^ 人事興信所 編『人事興信録 第19版上』人事興信所、1957年、あ71-72頁 。(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 人事興信所 編『人事興信録 第16版下』人事興信所、1951年、は9頁 。(新一郎の箇所を参照)
参考文献
- 『仙台市文化財調査報告書第304集 天賞酒造に係る文化財調査報告書』仙台市教育委員会、2006年11月 。
外部リンク
- こだわり - 郷土酒亭元祖炉ばた(富弥が開いた店の後継で、肖像写真を掲載)
- 天江富弥のページへのリンク