炉端焼き
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炉端焼き(ろばたやき)は、日本の田舎屋風の店舗で、店員が魚介類や野菜を(炭火で)焼いた料理を提供する居酒屋の一形態を指し、第二次大戦後の宮城県仙台市で発祥したとされている。
注釈
- ^ 化学肥料が戦前と同等の生産量にまで回復したのは1950年頃。
- ^ 当時の仙台では、調理用のエネルギーとして亜炭・木炭・薪等を使用していた。戦後の都市ガスは石炭不足のため供給が不安定になり、仙台市ガス部(現・仙台市ガス局)が24時間供給可能にまで回復したのは1950年(昭和25年)12月30日。
- ^ 当時の仙台では、公道の一部に陣取り営業する屋台が全盛だった。「仙台市都心部#横丁・屋台」参照。
- ^ 1804年に仙台城下の八幡町(現・青葉区八幡)に創業した日本酒醸造会社で、仙台裸参り(どんと祭)では伝統の裸参りを実施していた。敷地内に「山上清水」(仙台三清水の1つ)と呼ばれた涌き水があった。主要銘柄は仙台を訪問した皇太子(のちの大正天皇)が同社の酒を飲んだことで生まれた「天賞」、そして仙台藩初代藩主・伊達政宗に由来する「獨眼龍政宗」など。2004年、経営不振から創業地を売却し(敷地の多くは複合商業施設「レキシントンプラザ八幡」として再開発され、庭園「天賞苑」は仙台市が買い取って「中島丁公園」として再整備)、翌年に仙台市に隣接する柴田郡川崎町に本社・工場を移転。社名も「まるや天賞」に改称。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で被災したことで会社は存続させるものの、醸造業務は断念し、「天賞」「獨眼龍政宗」の商標権を中勇酒造店(加美町、主要銘柄:「天上夢幻」)に売却、同年6月に酒造免許の取り消し申請をした。川崎町の土地と建物などは、被災した新沢醸造店(大崎市、主要銘柄:「伯楽星」)の部分移転先となった。
- ^ 本名は天江富蔵(生年:1899年、没年:1984年)。仙台市出身。1920年明治大学専門部商業科卒。1921年におてんとさん社を結成した。同社より童謡誌「おてんとさん」を創刊するなど、児童文化活動の指導者として活躍。竹久夢二とも交流があり、「おてんとさん」にも夢二の作品が載っている。また、1924年には仙台市の文化横丁に郷玩店「小芥子洞」を開業し、1928年にこけしを体系的に扱った日本初の文献「こけし這子の話」を上梓して、ブリキのおもちゃに圧されて衰微していた東北限定の玩具・こけしを、全国的に著名な民芸品に押し上げ、大人の収集家を全国に多数生んだ。
- ^ 本櫓丁(Google マップ)は、西端が本材木町(現・木町通)と十字路を形成して元柳町に続き、東端が国分町(現・国分町通)と十字路を形成して虎屋横丁に続く東西道。元柳町より西に行くと仲の瀬橋を渡って大日本帝国陸軍第2師団(江戸時代 : 仙台城二の丸ほか、占領期 : キャンプ・センダイ、現・東北大学川内キャンパス)に繋がり、虎屋横丁より東に行くと仙台駅北側(占領期 : 進駐軍のRTOあり)でX橋(宮城野橋)を越え、仙台駅の東側にある大日本帝国陸軍歩兵第4連隊(占領期 : キャンプ・ファウラー、現・榴岡公園)や東京第一陸軍造兵廠仙台製造所(占領期 : キャンプ・シンメルフェニヒ、現・仙台駐屯地)に繋がる。本櫓丁は江戸時代には武家屋敷が並んでいたが、明治維新後に料亭や芸者置屋が建ち並ぶようになって、仙台の花柳界の中心地となった(高度経済成長の終焉後に衰退)。1947年には細横丁(現・晩翠通)との角に、東北一の70ミリ映画館・東北劇場(洋画専門の二番館)も開館した(1979年に火災で閉館)。
- ^ 若林区新寺にある曹洞宗寺院。奥州仙臺七福神の1つ。
- ^ 同店の数軒隣に、ザンギの発祥の店と言われている唐揚げ屋「鳥松」が存在する。
出典
- ^ 「食の安全を考える〜浅漬けによる食中毒問題の教訓」(NPO法人くらしとバイオプラザ21)
- ^ 歴史とあゆみ (PDF) (釧路市)
- ^ 炉端焼きのご案内!(ゆりあげ港朝市協同組合)
- ^ a b c d e f 心の一齣(島内義行 著、「随筆集 ~ むんつん閑語」、黒潮社)
- ^ “まるや天賞醸造断念 震災で設備損傷 中勇に商標権譲渡”. 河北新報. (2011年7月16日). オリジナルの2011年7月19日時点におけるアーカイブ。 2015年9月14日閲覧。
- ^ 天賞酒造株式会社(地酒を楽しむ会宮城)
- ^ a b vol.2 「河童祭り」を戦後に伝えた天江富弥(仙台市建設局百年の杜推進部 河川課 広瀬川創生室『河水千年の夢 広瀬川ホームページ「広瀬川の記憶」』 2004年9月6日)
- ^ a b 196 天江富弥(あまえとみや)の童謡詩碑(太白区区民部まちづくり推進課内・太白区まちづくり推進協議会「ディスカバーたいはく5号」)
- ^ a b 竹久夢二・詩と絵の世界―愛と、ロマンと、漂泊と(仙台市文学館)
- ^ a b 高橋五郎 著 『癒やしの微笑み 東北こけしの話』 (PDF) (河北新報出版センター 2014年9月発行。ISBN 978-4-87341-327-3) p.2
- ^ 62. こけしの語源と素材 (PDF) (仙台市民図書館「要説 宮城の郷土誌」 p.137)
- ^ a b こけし蒐集家という人達(木人子室)
- ^ 「忘れかけの街・仙台 ~昭和40年頃、そして今~」(河北新報出版センター、2005年4月25日発行。ISBN 4-87341-189-0) pp.36-37
- ^ 「写真帖 追憶の仙台」(無明舎出版、2014年6月10日発行。ISBN 978-4-89544-579-5) pp.44-45
- ^ a b VOL.5 ゆったりと流れる時間に乾杯!(仙台放送「とうほく食文化応援団」 2015年6月24日放送)
- ^ 小正月にちなみ 餅花の思い出(民芸みやぎ 宮城県民藝協会からの折々の便り 2012年1月14日)
- ^ 天才童謡詩人 スズキヘキ 仙台で日本初の童謡専門誌を創った男(東日本放送「ほっとネットとうほく」 2006年1月28日ANN系列東北6社ブロックネット放送)
- ^ 今日の馬込文学 二人の対面 大正14年12月24日(推定)、石川善助、宮沢賢治と会う(DesignroomRUNE「馬込文学マラソン」)
- ^ 「奇人変人御老人」(永六輔 著、文芸春秋 1974年発行)
- ^ 『児童文学事典』電子版(千葉大学アカデミック・リンク・センター)
- ^ 北海道の旅[リンク切れ](ABCテレビ「朝だ!生です旅サラダ」 2014年2月15日放送)
- ^ “元祖 炉ばた”. 『国分町情報館』. 有限会社 国分堂. 2013年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月15日閲覧。
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