平陽郡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 平陽郡の意味・解説 

平陽郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/15 06:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

平陽郡(へいよう-ぐん)は、中国にかつて存在した三国時代から唐代にかけて、現在の山西省南西部に設置された。

概要

247年正始8年)、により河東郡の汾北10県を分割して平陽郡が立てられた[1]。平陽郡は司州に属した。

のとき、平陽郡は平陽端氏永安蒲子狐讘襄陵絳邑濩沢臨汾北屈皮氏の12県を管轄した[2]

443年太平真君4年)、北魏により東雍州が置かれると、平陽郡は廃止された。494年太和18年)、東雍州が廃止されると、再び平陽郡が置かれた。孝昌年間に唐州が置かれると、平陽郡は唐州に属した。528年建義元年)、唐州は晋州と改称されると、平陽郡は晋州に属した。北魏の平陽郡は禽昌・平陽・襄陵・臨汾・泰平の5県を管轄した[3]

582年開皇2年)、平陽郡は平河郡と改称された。583年(開皇3年)、が郡制を廃すると、平河郡は廃止されて、晋州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、晋州は臨汾郡と改称された[4]618年義寧2年)、臨汾郡が平陽郡と改称された。隋末の平陽郡は臨汾・襄陵・岳陽冀氏・楊の5県を管轄した。

618年武徳元年)、唐により平陽郡は晋州と改められた。742年天宝元年)、晋州は平陽郡と改称された。758年乾元元年)、平陽郡は晋州と改称され、平陽郡の呼称は姿を消した[5]

脚注

  1. ^ 三国志』魏書三少帝紀
  2. ^ 晋書』地理志上
  3. ^ 魏書』地形志二上
  4. ^ 隋書』地理志中
  5. ^ 旧唐書』地理志二



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「平陽郡」の関連用語

平陽郡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



平陽郡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの平陽郡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS