鄱陽郡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鄱陽郡の意味・解説 

鄱陽郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/10 09:28 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています詳細

鄱陽郡(はよう-ぐん)は、中国にかつて存在した後漢末から唐代にかけて、現在の江西省北東部に設置された。

概要

210年建安15年)、孫権により豫章郡が分割され、鄱陽郡が立てられた[1]。鄱陽郡は揚州に属し、郡治は鄱陽県に置かれた。

291年元康元年)、揚州と荊州の10郡を合わせて江州が立てられると、鄱陽郡は江州に転属した[2]の鄱陽郡は広晋・鄱陽・楽安余汗鄡陽歴陵葛陽晋興の8県を管轄した[3]

南朝宋のとき、鄱陽郡は広晋・鄱陽・余干・上饒・葛陽・楽安の6県を管轄した[4]

南朝斉のとき、鄱陽郡は鄱陽・余干・葛陽・楽安・広晋・上饒の6県を管轄した[5]

南朝梁のとき、鄱陽郡は呉州に転属した。

589年開皇9年)、南朝陳を滅ぼすと、鄱陽郡は廃止されて、饒州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、饒州は鄱陽郡と改称された。鄱陽郡は鄱陽・余干・弋陽の3県を管轄した[6]

621年武徳4年)、唐が江南を平定すると、鄱陽郡は饒州と改められた。742年天宝元年)、饒州は鄱陽郡と改称された。758年乾元元年)、鄱陽郡は饒州と改称され、鄱陽郡の呼称は姿を消した[7]

脚注

  1. ^ 三国志』呉書呉主伝
  2. ^ 晋書』孝恵帝紀
  3. ^ 『晋書』地理志下
  4. ^ 宋書』州郡志二
  5. ^ 南斉書』州郡志上
  6. ^ 隋書』地理志下
  7. ^ 旧唐書』地理志三



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  鄱陽郡のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鄱陽郡」の関連用語

鄱陽郡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鄱陽郡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鄱陽郡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS