岑彭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/05 04:38 UTC 版)
岑 彭(しん ほう、? - 35年)は、後漢の武将。字は君然(くんぜん)。南陽郡棘陽県(河南省新野県)の人(『後漢書』列伝7・本伝)。光武帝の功臣であり、「雲台二十八将」の第6位に序せられる(『後漢書』列伝12)。
- ^ 『鄧奉背恩反逆,暴師經年,致賈復傷痍,朱祐見獲。陛下既至,不知悔善,而親在行陳,兵敗乃降。若不誅奉,無以懲惡。』「鄧奉は恩に背いて反逆し、師団に暴行して年を重ね、賈復は傷痍し、朱祜は捕われました。陛下が御到着された後も悔い改める事なく、自ら陣列に臨み、兵が敗れてからやっと降伏してきたのです。もし鄧奉を誅殺せずにおれば、悪を懲らしめる事になりませぬ」
- ^ 『資治通鑑』によれば岑彭が秦豊を撃破したのは秋七月の出来事である。
- ^ 「両城がもし下れば、すぐに兵を率いて南方を撃ち蜀を虜とすべきだ。人とはかくも飽き足らぬものか、既に隴を平らげながら復た蜀を望もうとするとは。一度兵を進発させるたび、頭須が白くなってしまう」
- ^ 岑彭の陣営を敷いた場所は亡彭聚と云い、「彭が亡くなる」と言う意味を嫌って岑彭は移ろうとしたが、偶々日が暮れて野営し、逃亡奴婢を騙った刺客に斬られた
- ^ 耿弇もこの計を張歩に対して使っている。
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