劉秀とは? わかりやすく解説

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りゅう‐しゅう〔リウシウ〕【劉秀】

読み方:りゅうしゅう

[前6〜後57中国後漢初代皇帝在位2557。字(あざな)は文叔。諡(おくりな)は光武帝廟号(びょうごう)は世祖前漢高祖9世の孫。23年王莽(おうもう)の大軍昆陽破り河北山東一帯平定し25年帝位について漢を再興洛陽に都した。赤眉(せきび)の乱を平定して天下統一善政をしき儒学奨励して後漢王朝基礎築いた


光武帝

(劉秀 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/22 03:14 UTC 版)

光武帝(こうぶてい)こと劉秀(りゅう しゅう、前6年 - 57年[注釈 1])は、後漢王朝の初代皇帝


注釈

  1. ^ 生年月日:建平元年十二月甲子(『後漢書』本紀1下の崩御以降の記述でユリウス暦にすれば、前5年1月15日)、没年月日:建武中元二年二月戊戌(ユリウス暦:57年3月29日)。建平元年は前6年であるので、建平元年生まれは前6年扱いになる。したがって、数え年で計算する享年は前6年から57年の63になる(西暦に基づく満年齢では61歳)。
  2. ^ 大司空・王梁、行大司馬・孫咸。ただし大司馬にはまもなく呉漢が就任した[10]

出典

  1. ^ 『後漢書』光武帝紀の李賢注は『逸周書』諡法解を引いて「能く前業を紹(つ)ぐは光と曰い、禍乱を克定するは武と曰う」とする。もっとも諡法解は光諡については述べていない。
  2. ^ 漢書』巻28上・地理志上・河南郡条の注に引く魚豢『魏略』。
  3. ^ 『続漢書』志19・郡国志1の注に引く『帝王世紀』
  4. ^ 『孝経』聖治章第9の引用
  5. ^ 『続漢書』志26・百官志3・少府条
  6. ^ 同上・大司農条
  7. ^ 『後漢書』列伝69上・儒林列伝
  8. ^ 『後漢書』儒林列伝では、儒学者がそれぞれの在地で儒学を講じたことが各々の本伝で記されている。
  9. ^ 『続漢書』志24・百官志1・大尉条の注に引く『漢官目録』
  10. ^ 『後漢書』列伝12・王梁伝、同・景丹伝。
  11. ^ 『後漢書』列伝18上・桓譚伝、列伝26・鄭興伝、列伝69上・尹敏伝
  12. ^ 『金楼子』巻4・立言下
  13. ^ 『資治通鑑』巻68・漢紀60・建安24年条
  14. ^ 原文「文叔少時謹信、與人不款曲、唯直柔耳、今廼能如此」 (『後漢書』本紀1下)
  15. ^ 原文「吾理天下、亦欲以柔道行之」 (『後漢書』本紀1下)
  16. ^ 原文「蕭王推赤心置人腹中、安得不投死乎」(『後漢書』本紀1上)
  17. ^ 原文「昔衛霊公問陣、孔子不対、此非爾所及」 (『後漢書』本紀1下)
  18. ^ 原文「何用知非僕邪」(『後漢書』鄧晨伝)


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