叔寿とは? わかりやすく解説

叔寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 07:21 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

叔 寿(しゅく じゅ、?- 25年)は、中国代から後漢時代初期にかけての武将。豫州潁川郡の人。光武帝(劉秀)配下の将軍。

事跡

姓名 叔寿
時代 代 - 後漢時代
生没年 生年不詳 - 25年建武1年)
字・別号 〔不詳〕
本貫・出身地等 豫州潁川郡
職官 掾史〔劉秀〕→破虜大将軍〔後漢〕
爵位・号等 -
陣営・所属等 光武帝(劉秀)
家族・一族 〔不詳〕

始めは新の潁川郡掾であった馮異は、更始元年(23年)に劉秀軍に捕まった後、従兄馮孝らの推薦を受けて、劉秀に登用される。その後、馮異は自身が守備していた父城(潁川郡)を開城して、劉秀の主簿に任命され、父城の長である苗萌も従事として登用された。この時叔寿は、銚期・段建(殷建)・左隆と共に馮異から同郷の士として推薦を受け、いずれも劉秀に掾史として登用され、洛陽まで付き従った。

更始2年(24年)、河北の王郎滅亡後に、銚期は虎牙大将軍に任命されており、叔寿もおそらくはこの頃に破虜大将軍に任命されたと見られる。具体的な事跡は不明だが、この昇任を見る限り、銚期同様に、王郎討伐で軍功があったと見られる。

しかし、建武元年(25年)12月、叔寿は曲梁(魏郡)で五校(河北の地方民軍)を討伐したが、この際に戦死した。

参考文献

  • 後漢書』本紀1上光武帝紀上
    • 同列伝7馮異伝

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「叔寿」の関連用語


2
6% |||||

叔寿のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



叔寿のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの叔寿 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS