安世高とは? わかりやすく解説

あん‐せいこう〔‐セイカウ〕【安世高】

読み方:あんせいこう

[?〜170ころ]中国漢代の僧。西アジア安息国パルティア)の王子であったが、出家して仏教修め中国渡り洛陽(らくよう)で経典翻訳従事した


あんせいこう 【安世高】


安世高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 05:07 UTC 版)

安 世高(あん せいこう、生没年不詳)は、後漢代に西域から渡来した訳経僧は世高。

安息国(パルティア)の太子であったが、王位を伯父に譲り、出家修道に志し、諸方を遊歴するようになった。安息国では、部派仏教に属する説一切有部が流行していたため、世高は観の法や阿毘達摩に通じていた。

桓帝代の建和2年(148年)に、都の洛陽に来朝した。その後、20年にわたって訳経を行い、34部40巻の部派仏教系の経典を漢訳した。

後世の僧祐は、「幅広く経典を修めていて、中でもアビダルマの学問に精通しており、禅に関する経典も暗誦し、その綱要をほぼ了解していた」と評している(『出三蔵記集』巻13)。

高僧伝』巻1の記述では霊帝代の末期に関中・洛中の騒乱を避けて、老齢の身で江南に移ったという。会稽郡にたどりつきたまたま市に入ったとき、市中は殴り合いの騒乱の最中であり、世高は誤って頭を打たれて死亡したという。

一方で、『魏書』巻30の記述では、世高の子孫は西晋のころに騒乱を避けて遼東に移住し、そのまま家をなしたという。

主な漢訳経典

  • 安般守意経
  • 陰持入経
  • 大道地経
  • 人本欲生経
  • 四諦経
  • 八正道経
  • 転法輪経
  • 阿毘曇五法行経
  • 仏説法受塵経[1]

疑問視されている経典

  • 八大人覚経[2]

など

なお、「安世高訳」と書いてある仏典は多いが、仮託であることが多い。たとえば上の『八大人覚経』は『出三蔵記集』に見えず、「菩薩・大乗」のような語を用いているので、大乗仏典を翻訳していない安世高とは無関係と考えられる。

脚注




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「安世高」の関連用語

安世高のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



安世高のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの安世高 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS