昆陽の戦いとは? わかりやすく解説

こんよう‐の‐たたかい〔コンヤウ‐たたかひ〕【昆陽の戦い】

読み方:こんようのたたかい

23年中国河南省にあった昆陽城にたてこもった劉秀40王莽(おうもう)の軍を八千余の兵で破った戦い


昆陽の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 05:33 UTC 版)

昆陽の戦い(こんようのたたかい、中国語:昆陽之戰)は、中国代の地皇4年(西暦23年、または更始元年)豫州潁川郡の昆陽(現在の河南省平頂山市葉県)における新軍と緑林軍との間の戦いである。


  1. ^ 漢書』王莽伝は4月としているが、本記事は『後漢書』光武帝紀の3月をとる。
  2. ^ 『漢書』王莽伝は6月に洛陽を出発したとしているが、本記事は『後漢書』光武帝紀の5月潁川到着をとる。
  3. ^ 『漢書』王莽伝
  4. ^ 『後漢書』光武帝紀
  5. ^ 『漢書』王莽伝による。『後漢書』光武帝紀によると、数千人。


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