昆陽池
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昆陽池(こやのいけ[1]、こやいけ)は、奈良時代に行基が摂津国川辺郡に造営したと伝えられる広大な溜池である。
中野東 | 瑞原 | 瑞ケ丘 | ||
松ケ丘 | 広畑 | |||
昆陽池 | ||||
昆陽北 | 昆陽 | 千僧 |
- ^ 精選版 日本国語大辞典「こや‐の‐いけ【昆陽池】」
- ^ 井上光貞「行基年譜、特に天平十三年記の研究」
- ^ (注)「行基年譜、特に天平十三年記の研究」に掲載の文書写真では「昆」の左側に「山」偏のある漢字が用いられているが、ここでは便宜上他資料(『行基と知識集団の考古学』など)にならって「山」冠のある漢字「崑」で代用して「崑陽」と表記する。
- ^ 伊丹市史 第2巻「行基の社会事業」p.306-329
- ^ 「伊丹市史 第2巻」 p.318
- ^ “プロフィール”. www.sumitomosogoground.com. 2019年6月21日閲覧。
- ^ “交通案内図”. www.sumitomosogoground.com. 2019年6月21日閲覧。
- ^ “交通・アクセス:兵庫県立こやの里特別支援学校 -公式サイト-”. www.hyogo-c.ed.jp. 2019年6月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『絵図にみる村のすがたII 昆陽池・昆陽井』
- ^ “水道水源/伊丹市上下水道局ホームページ”. www.water.itami.hyogo.jp. 2019年6月21日閲覧。
- ^ “浄水場の紹介/伊丹市上下水道局ホームページ”. www.water.itami.hyogo.jp. 2019年6月21日閲覧。
- ^ ItamiCity PR伊丹市広報課 (2016-09-04), ウォーターくんの旅~水道の水ができるまで~ 2019年6月21日閲覧。
- ^ a b 「伊丹市史 第2巻」 p.316
- ^ わがふるさと新田中野村 p.8
- ^ 『行基と昆陽池』
- ^ 「土木技術者としての行基」
- ^ 伊丹市史 第1巻「伊丹台地を横断する切れ込み」p.16
- ^ “図説 尼崎の歴史-序説”. www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp. 2019年6月29日閲覧。
- ^ “産総研:活断層データベース”. gbank.gsj.jp. 2019年6月29日閲覧。
- ^ 伊丹市史 第1巻「溜池の位置と旧川筋」p.17
- ^ http://www.itami-bunkazai.jp/itamity/pdf2/itamity54_16.pdf 安達文昭「伊丹の歌碑めぐり(5)昆陽池公園」伊丹経済交友会 いたみティVol.54(2003/1)
昆陽池
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昆陽池(こやいけ)は、1981年に大字昆陽から分離して成立した。現行の行政地名は町丁が昆陽池一丁目から昆陽池三丁目まで。2011年10月1日の伊丹市による推計人口は746人。郵便番号664-0016。 北の一点で瑞原、東で瑞ケ丘、東で広畑、南東の一点で千僧、南で昆陽、南西で昆陽北、西で松ケ丘、北西で中野東と接している。中野西とは僅かに接していない。3丁目の大部分は昆陽池公園が占めている。 町内の主な施設 昆陽池公園伊丹市昆虫館 伊丹市立労働福祉会館・青少年センター(スワンホール) 市立伊丹病院
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