昆陽下池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 07:51 UTC 版)
行基の業績を記録した行基年譜によれば、天平3年(731年)に昆陽上池と昆陽下池の造成に着手したとある。昆陽上池は現在の昆陽池に相当し、昆陽下池は現在の昆陽池の西方から武庫川までの地域までの地にあったと推測される。慶長13年(1608年)の田地開墾の陳情以降、下池のあった場所の新田開発が進み、寛永12年(1635年)の検地により新田中野村が誕生する。
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昆陽下池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/24 14:03 UTC 版)
上池の西、武庫川寄りにあった下池は池尻村・山田村・野間村・友行村・時友村に水を供給した。 江戸時代の始め、慶長13年、1608年に昆陽村と池尻村が下池を埋め立てし田畑化を代官に願い出た記録がある。 下池は埋め立てられ田畑になり、新田中野村が生まれている。
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