タラス河畔の戦いとは? わかりやすく解説

タラス河畔の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/23 23:52 UTC 版)

タラス河畔の戦い
(Battle of Talas)
8世紀の唐の領域。アッバース朝と接していることがわかる。

戦争:唐とアッバース朝の会戦
年月日751年5月9月
場所:今のキルギスタラス河
結果:アッバース朝の勝利
交戦勢力
アラビア側 中華側
指導者・指揮官
ズィヤード・イブン・サーリフ 高仙芝
李嗣業
段秀実
戦力
20万人 3万人(イスラーム側の文献では10万人)
損害
不明 残兵数千人

タラス河畔の戦い(タラスかはんのたたかい、アラビア語: معركة نهر طلاس中国語: 怛羅斯會戰)は、751年A.H.133年、天宝10載)5月から9月にかけて、中央アジアタラス地方(現在のキルギス)でアッバース朝の間で行われた戦闘である。中央アジア覇権を巡った決戦であり、西方に中国式の製紙法が伝来したきっかけとなった戦いと言われているが異論もある。

経過

戦闘まで

750年、安西節度使として西域東トルキスタン)に駐屯していた唐の将軍高仙芝が西のソグディアナ西トルキスタン)に圧力をかけた。そのため、シャーシュ(石国、現在のタシュケント)の王子は、シル川以西を支配するイスラム勢力に支援を要請。

これに応じて、747年ウマイヤ朝勢力をメルヴから追ってアッバース朝ホラーサーン総督となっていたアブー・ムスリムは、部下のズィヤード・イブン・サーリフアラビア語: زياد ابن صالحZiyad ibn Salih)を派遣。一方、漢人・土着からなる3万(あるいは10万人)の唐軍は、高仙芝に率いられタラス城に入る。

戦闘

キルギスのタラス川

751年7月、ズィヤードの率いるアッバース朝軍と高仙芝率いる唐軍は、天山山脈西北麓のタラス河畔で衝突した。戦いの最中、唐軍に加わっていた天山北麓に遊牧する遊牧民カルルクがアッバース朝軍に寝返ったため、唐軍は壊滅し数千人を残すのみとなった。高仙芝自身は、部下の李嗣業フェルガナの軍中に血路を開くことで撤退には成功したものの、多くの兵士捕虜となった。

唐側の被害は甚大で、イブン・アル=アスィールの『完史』によると、アッバース朝軍は「唐軍5万人を殺し、2万人を捕らえた」という。

戦いの影響

この戦い以降、中央アジアにイスラム勢力の安定支配が確立し、ソグド人テュルク系諸民族の間にイスラム教が広まっていった。

唐の勢力はタリム盆地に限定されることとなり、まもなく起こった安史の乱の際はかつての敵国であるアッバース朝からアラブ人の援軍を送られるまで弱体化した唐の中央アジア支配は後退していった。高仙芝と李嗣業は安史の乱で活躍するものの、両者とも非業の死を遂げた。

10世紀の文献学者サアーリビーの記録によれば、中国人の捕虜の中に製紙職人がいたとされ、サマルカンドに製紙工場が開かれてイスラム世界製紙法が伝わったとされる。しかしすでに中東には古代よりパピルスによる製紙法が存在し、それ以外にも8世紀より以前に亜麻などによる製紙法がキルギス地方に存在していたことが考古学的に発見されており、この説には疑問が呈されている。

脚注

参考文献

関連項目

  • 蔡倫 - 製紙法を改良し、紙の普及に貢献した人物。
  • 杜環 - この戦いで捕虜となり、当時のイスラム社会の記録を残したとされる人物。
  • 小前亮著『天涯の戦旗 タラス河畔の戦い』(2011年10月 朝日新聞出版)- タラス河畔の戦いを描いた歴史小説

外部リンク


タラス河畔の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 06:59 UTC 版)

タラス川」の記事における「タラス河畔の戦い」の解説

751年キルギスタラス近郊で、唐の安西四鎮節度使であった高仙芝イスラム帝国軍との間でタラス河畔の戦いが起こっている。この戦いは、高仙芝石国(シャーシュ)を攻略したことに始まった石国王の王子や「諸胡」と称される勢力アッバース朝ホラサーン総督アブー・ムスリム派兵求め後者ズィヤード・イブン=サーリフアラビア語版、中国語版)(アラビア語: زياد ابن صالح‎、英語: Ziyad ibn Salih)を将として一軍送った両軍はともに数万大軍勢で戦ったが、テュルク系一部族で唐に来朝していたカルルク葛邏禄)が唐を裏切ってアッバース軍に寝返り唐軍大敗した。 これにより、唐が西域から後退し、このとき捕虜となった中国人が紙の製法西方伝え契機となった

※この「タラス河畔の戦い」の解説は、「タラス川」の解説の一部です。
「タラス河畔の戦い」を含む「タラス川」の記事については、「タラス川」の概要を参照ください。

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