シルクロードのイスラーム化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
「貿易史」の記事における「シルクロードのイスラーム化」の解説
ウマイヤ朝は、シルクロードのオアシス地帯であるマー・ワラー・アンナフルを征服して、オアシス国家は唐に支援を求めた。唐は遠征軍を派遣するが、指揮官の高仙芝がオアシス国家の財宝を略奪したために不評を買って唐軍は孤立して、タラス河畔の戦いでアラブ軍に大敗する。シルクロードは次第にイスラームの貿易ルートとなり、都市もイスラーム化が進んでモスク、マドラサ、スークをそろえた街並みとなっていった。また、唐軍からの捕虜に紙漉きの職人がいたため、製紙法が伝わってサマルカンドにイスラーム世界初の製紙工場が作られた。アッバース朝と唐の対立に加えて、ウイグルや吐蕃などの遊牧民によって8世紀後半にはシルクロード貿易は不安定となる。そのためペルシア湾から中国へ至る海上貿易ルートが増加した。養蚕の技術がペルシアに伝わって絹織物工業が盛んになったことも、シルクロード貿易の縮小に影響を与えた。
※この「シルクロードのイスラーム化」の解説は、「貿易史」の解説の一部です。
「シルクロードのイスラーム化」を含む「貿易史」の記事については、「貿易史」の概要を参照ください。
- シルクロードのイスラーム化のページへのリンク