モスク、マドラサ
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857年頃にカイラワーン地区に建立されたカラウィーン・モスクは、アラブ人富豪の娘ファーティマが建立した礼拝堂が元になっているモスクである。当初は個人的な礼拝所として使用されていたといわれているが、 859年には宗教教育を始め、現存する世界最古の大学とも言われる。 建設初期のカラウィーン・モスクの上部に架けられていたアーチ、アーチを支える柱の形状は明らかになっていない。後ウマイヤ朝時代の956年に完成したミナレットには、パラペットとドーム部分を除いてコルドバ風の建築様式が採用されており、アーチはコルドバ風の円頭馬蹄型をしている。ミナレットはイドリース2世の剣の上に建てられたという伝承が残り、フェズに存在する他のモスクのミナレットの高さはいずれもカラウィーン・モスクのミナレットの高さを考慮して設計されたと言われている。後ウマイヤ朝の時代に初期のモスクに備わっていた北側の中庭は取り壊されて拡張工事が行われ、新たな中庭が作られた。後ウマイヤ朝時代に拡張された部分のうち、開口部の柱とアーチにはレンガ、外壁にはある種のセメント、ミナレットには石が建材として使われている。 ムラービト朝時代の1134年に最後のカラウィーン・モスクの拡張工事が行われ、この工事によって天井を飾る複雑なムカルナスが追加される。また、マグリブで最も古く、そして美しいと評価されるカラウィーン・モスク付設の死者の葬儀用の礼拝所はムラービト朝時代に増設された施設である。カラウィーン・モスクの中庭には黒タイルが敷き詰められ、庭を囲む壁は多色タイルや木や石の彫刻で装飾されており、装飾の主要な部分はムワッヒド朝時代に制作された。ムワッヒド朝によってムカルナスの装飾が白く塗りつぶされたため、上塗りを部分的に取り除く修復作業が進められている。17世紀前半にグラナダのアルハンブラ宮殿の獅子の中庭のパビリオンを模した2つのパビリオンが中庭に建設され、パビリオンの中では泉が湧き出ている。 カラウィーン・モスクを建立したファーティマの姉妹であるメリアムは、アンダルス地区に質素な造りの小礼拝堂を建立し、礼拝堂は後のアンダルス・モスクの原型となる。956年にカラウィーン・モスクと同じくアンダルス・モスクにもミナレットが建立され、ムワッヒド朝のムハンマド・ナースィルによって大規模なモスクの再建工事が実施された。モスク北の大門の扉には彫刻が施された木のひさしが取り付けられており、モスクの建築の中でも高い評価を受けている。16世紀にサアド朝のスルタンによって中庭に水盤が寄贈され、アラウィー朝のムーレイ・イスマーイールによって水盤が修復された。 1323年から1325年にかけて建立されたアッタリーン・モスクには、化粧漆喰とタイル装飾が施されている。アッタリーン・モスク付属のマドラサ(神学校)は非イスラム教徒も入場することができ、屋上に登ることもできる。これらのマドラサに共通する点として、洗浄のための水盤とアーケードを備えた中庭が挙げられる。アッタリーン・マドラサの中庭はモザイクタイル、タイル画、彫刻された漆喰(スタッコ)、木彫金彩などで装飾され、その鮮やかさは細密画にも例えられている。マドラサ内部の生徒用の小部屋の窓枠、祈祷室に吊るされたシャンデリアの美しさが高く評価されている。 アッタリーン・マドラサなど、13世紀から15世紀にかけてのマリーン朝の時代に建設されたマドラサは、マグリブで最も美しい建築物と評されている。1350年から1357年ごろにかけて、マリーン朝の君主アブー・イナーン・ファーリスは学問と礼拝のための施設であるブー・イナーニーヤ・マドラサの建設を命じた。ブー・イナーニーヤ・マドラサは1階と2階いずれも円柱に支えられたアーチが、オニキスが敷かれた中庭を囲む構造になっている。フェズ川から引き込まれた水路が中庭と礼拝所の間を流れ、礼拝所の両端に橋が架かる。垂れ下がりアーチを備えた講義室が中庭を挟んで東西に向かい合い、1階と2階には学生用の宿舎が置かれている。講義室は1階と2階を貫き、天井はムカルナスで覆われている。ブー・イナーニーヤ・マドラサには中世マグリブの建築技術の粋を凝らしたものだと言われ、建築中のマドラサを見た旅行家イブン・バットゥータはカイロ郊外のスィルヤークスに建てられたザーウィア(イスラム教徒のための修行所)よりも数段上だと驚嘆した。マドラサの北西には高いミナレットが併設されており、かつてはミナレットの中に精巧な水時計が置かれていた。 1321年から1323年にかけてアブー・アルハサン・アリーによって建設されたサフリージュ・マドラサの名前は、7種類のコーランの詠唱法が教えられていたことに由来し、留学生だけを受け入れていた。 カラウィーン・モスク、ブー・イナーニーヤ・マドラサの付近にはキサリアと呼ばれる複数の店舗が入居する商業施設が建てられており、カラウィーン・モスクに近接するキサリアはフェズのスークの中心となっている。カラウィーン・モスクのキサリアは13世紀にマリーン朝のアブー・ヤアクーブ・ユースフによって建てられた精神病院の跡地に建ち、1954年に火災によって焼失した後、コンクリート製の建物が再建された。また、モスクにはマドラサ以外に公衆トイレが独立した建物として併設されている。トイレは敷き詰められたタイルで装飾され、中央には泉が湧き出ている。
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