モスク、マドラサとは? わかりやすく解説

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モスク、マドラサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 08:19 UTC 版)

フェズ」の記事における「モスク、マドラサ」の解説

857年頃にカイラワーン地区建立されたカラウィーン・モスクは、アラブ人富豪の娘ファーティマ建立した礼拝堂元になっているモスクである。当初個人的な礼拝所として使用されていたといわれているが、 859年には宗教教育始め現存する世界最古大学とも言われる建設初期のカラウィーン・モスクの上部にけられていたアーチアーチ支え形状明らかになっていない後ウマイヤ朝時代956年完成したミナレットには、パラペットドーム部分除いてコルドバ風の建築様式採用されており、アーチコルドバ風の円頭馬蹄型をしている。ミナレットイドリース2世の剣の上建てられたという伝承残りフェズ存在する他のモスクミナレットの高さはいずれもカラウィーン・モスクのミナレットの高さを考慮して設計されと言われている。後ウマイヤ朝時代初期モスク備わっていた北側中庭取り壊され拡張工事が行われ、新たな中庭作られた。後ウマイヤ朝時代拡張され部分のうち、開口部アーチにはレンガ外壁にはある種セメントミナレットには石が建材として使われている。 ムラービト朝時代1134年最後のカラウィーン・モスクの拡張工事が行われ、この工事によって天井を飾る複雑なムカルナス追加されるまた、マグリブで最も古く、そして美しいと評価されるカラウィーン・モスク付設死者葬儀用の礼拝所ムラービト朝時代増設された施設である。カラウィーン・モスクの中庭には黒タイル敷き詰められ、庭を囲む壁は多色タイルや木や石の彫刻装飾されており、装飾主要な部分ムワッヒド朝時代制作された。ムワッヒド朝によってムカルナス装飾白く塗りつぶされたため、上塗り部分的に取り除く修復作業進められている。17世紀前半グラナダアルハンブラ宮殿獅子中庭パビリオン模した2つパビリオン中庭建設されパビリオンの中では泉が湧き出ている。 カラウィーン・モスクを建立したファーティマ姉妹であるメリアムは、アンダルス地区質素な造り小礼拝堂建立し礼拝堂は後のアンダルス・モスクの原型となる。956年にカラウィーン・モスクと同じくアンダルス・モスクにもミナレット建立されムワッヒド朝ムハンマド・ナースィルによって大規模なモスク再建工事実施された。モスク北の大門の扉には彫刻施された木のひさしが取り付けられており、モスク建築中でも高い評価受けている。16世紀サアド朝スルタンによって中庭水盤寄贈されアラウィー朝ムーレイ・イスマーイールによって水盤修復された。 1323年から1325年にかけて建立されたアッタリーン・モスクには、化粧漆喰タイル装飾施されている。アッタリーン・モスク付属マドラサ神学校)は非イスラム教徒入場することができ、屋上登るともできる。これらのマドラサ共通する点として、洗浄のための水盤アーケード備えた中庭挙げられるアッタリーン・マドラサ中庭モザイクタイルタイル画彫刻され漆喰スタッコ)、木彫金彩などで装飾され、その鮮やかさ細密画にも例えられている。マドラサ内部生徒用の小部屋窓枠祈祷室に吊るされシャンデリア美しさ高く評価されている。 アッタリーン・マドラサなど、13世紀から15世紀にかけてのマリーン朝時代建設されマドラサは、マグリブで最も美し建築物評されている。1350年から1357年ごろにかけて、マリーン朝君主アブー・イナーン・ファーリス学問礼拝のための施設であるブー・イナーニーヤ・マドラサ建設命じたブー・イナーニーヤ・マドラサ1階2階いずれも円柱支えられアーチが、オニキス敷かれ中庭を囲む構造になっているフェズ川から引き込まれ水路中庭礼拝所の間を流れ礼拝所両端架かる垂れ下がりアーチ備えた講義室中庭挟んで東西向かい合い1階2階には学生用の宿舎置かれている。講義室1階2階貫き天井ムカルナス覆われている。ブー・イナーニーヤ・マドラサには中世マグリブ建築技術の粋を凝らしたものだと言われ建築中のマドラサ見た旅行家イブン・バットゥータカイロ郊外のスィルヤークスに建てられたザーウィア(イスラム教徒のための修行所)よりも数段上だと驚嘆したマドラサ北西には高いミナレット併設されており、かつてはミナレット中に精巧な水時計置かれていた。 1321年から1323年にかけてアブー・アルハサン・アリーによって建設されたサフリージュ・マドラサの名前は、7種類コーラン詠唱法が教えられていたことに由来し留学生だけを受け入れていた。 カラウィーン・モスク、ブー・イナーニーヤ・マドラサ付近にはキサリアと呼ばれる複数店舗入居する商業施設建てられており、カラウィーン・モスクに近接するキサリアはフェズスーク中心となっている。カラウィーン・モスクのキサリアは13世紀マリーン朝アブー・ヤアクーブ・ユースフによって建てられ精神病院跡地建ち1954年火災によって焼失した後、コンクリート製建物再建された。また、モスクにはマドラサ以外に公衆トイレ独立した建物として併設されている。トイレ敷き詰められタイル装飾され中央には泉が湧き出ている。

※この「モスク、マドラサ」の解説は、「フェズ」の解説の一部です。
「モスク、マドラサ」を含む「フェズ」の記事については、「フェズ」の概要を参照ください。

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