イドリース2世とは? わかりやすく解説

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イドリース2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/23 18:38 UTC 版)

イドリース2世
إدريس الثاني
イドリース朝第2代イマーム
在位 803年2月26日 - 828年8月28日

全名 イドリース・アル・アズハル・ベン・イドリース・ベン・アブドゥッラー・アル・カメル
إدريس الْأَزْهَرَ بْن إدريس بْن عَبْدِ اللهِ الْكَامِلِ
出生 791年10月14日
イドリース朝ヴォルビリス
死去 828年8月29日(36歳)
イドリース朝フェズ
埋葬 モロッコフェズ
子女 ムハンマド
ウマル
カースィム
王朝 イドリース朝
父親 イドリース1世
母親 カンザ
宗教 イスラム教シーア派ザイド派
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イドリース2世アラビア語 : إدريس الثاني, Idris II, 791年10月15日[1] - 828年8月29日)は、モロッコを支配したイドリース朝の第2代イマーム(在位:803年 - 828年)。イドリース朝の全盛期を創出した英主である。

生涯

父は初代のイドリース1世である。生母はベルベル人奴隷で[1]、妾腹の息子だと伝わっている。791年(793年説もある)に父が毒殺されたため、跡を継いだ。イドリース2世は王朝繁栄のために積極的な人材招聘を行い、スペインやイフリーキーヤ(チュニジア)から500人のアラブ兵を招聘してモロッコ北部のアラブ化を行った。また、モロッコ南部で敵対していたベルベル人のマスムーダ族を討って勢力を拡大した。808年809年とも)にフェズに新都を建設し、ここにコルドバやイラワーンから移民の入植を奨励して都は大いに繁栄した[1]

828年に死去し、跡を長男ムハンマド・イブン・イドリースが継いだ。

脚注

  1. ^ a b c 佐藤、p. 202

参考文献

先代
イドリース1世
イドリース朝
791年 - 828年
次代
ムハンマド・イブン・イドリース



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