他の歴史的建造物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 08:19 UTC 版)
ヒジュラ暦841年ラジャブ月(1437年12月29日 - 1438年1月27日) に建立されたザーウィア・ムーレイ・イドリースは町の建設者であるイドリース2世の霊廟であり、18世紀に再建された。廟の屋根は緑の彩釉タイルで覆われており、棺には毎年新しい絹の聖布がかけられる。モロッコ内の他の宗教施設と同じく、廟には非イスラム教徒の立ち入りは禁止されており、信者は銅版に開けられた穴に手を入れてイドリース2世の墓に触れることができる。誤ってロバやラバが廟に入らないよう、廟に向かう道には高さ1.6mほどのガードが設置されている。 19世紀に建立されたアラウィー朝の宮殿はグラナダのヘネラリーフェ離宮を模して造られた建物で、1912年以降は事実上放棄された状態にある。 門付近とタラー・ケビラ、タラー・セビーラの周辺には多くのフンドゥクが建てられており、特にギッサ門からカラウィーン・モスクに至る通りの両側に集中している。旧市街には100以上のフンドゥクとその遺構が存在し、宿として営業を続けているものもあれば、工房、観光客向けの店、倉庫などに転用されているものもある。14世紀に建設されたフンドゥク・テトゥアニーは3階建ての建物で、工房・倉庫として使用されている。2階部分と3階部分の手摺にはムシャラビーヤと呼ばれる組子細工が施され、入り口の簗と天井はマリーン朝様式の幾何学模様で飾られている。17世紀後半に建設されたフンドゥク・サガーはアラウィー朝時代の建築様式をよく残したものだといわれ、中庭には大きな天秤が吊るされている。フンドゥク・ネジャリン(ネジャリン木工芸博物館)の前には周辺には広場が広がり、家具店が集まっている。 ブー・ジュルード門の西に隣接するカスバはかつて軍事基地として使用され、現在敷地内には病院や中学校が設置されている。旧市街周辺の丘には墓地、イスラームの聖者の小さな霊廟が点在する。丘の上の墓はいずれも西を向いており、墓地は市民のくつろぎの場にもなっている。
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