他の武道、格闘技への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 09:34 UTC 版)
柔道の影響を受けた武道・格闘技として、サンボ、日本拳法、富木流合気道、ブラジリアン柔術などがある。 日本拳法は、柔道家の澤山宗海が柔道では廃れてゆく当身技の体系を確立し、更に競技化した。 サンボは講道館で柔道を学んだロシア人ワシリー・オシェプコフによりロシアに伝えられソ連時代にその弟子により国技として普及する。 富木流合気乱取りは柔道の当身技と立ち関節技(離隔態勢の柔道)の乱取り化を進めようとしていた嘉納治五郎により、合気道の植芝盛平のもとへ派遣されていた富木謙治によりまとめられ、別名柔道第二乱取り法とも呼ばれる。早稲田大学教育学部教授であった富木は早稲田大学柔道部合気班の中で柔道の第二乱取り法として指導をしていた。 ブラジリアン柔術は、講道館三羽烏や玖馬の四天王(海外四天王)とも称された前田光世(コンデ・コマ)が海外での柔道普及に際し、日本以外で異種格闘技戦を戦い磨いた柔道技術を元にブラジルにおいてカーロス・グレイシーが教授された技術、柔道派生の格闘技という説が強い。 他には柔道出身の極真空手家・東孝が興した空道も投げや寝技の中に柔道の影響が強く見られる。 講道館で嘉納治五郎による古武道研究会で師事を受けた望月稔の養正館武道にも嘉納の思想、柔道理論、影響は受け継がれている。 国際柔術連盟 (JJIF) で行われている柔術ファイティングシステムにも柔道の影響が伝統空手の技術と共に強く見受けられる。JJIFはまた、ブラジリアン柔術を寝技柔術の名で実施もしている。JJIFの国内競技連盟はフランス柔道柔術剣道及び関連武道連盟など約8カ国で国際柔道連盟の国内競技連盟と同一団体で二重加盟している。(2019年10月現在) 琉球(沖縄)で発祥した唐手(空手、空手道)は講道館創始者嘉納治五郎の紹介によって本土に上陸し、1933年、大日本武徳会沖縄県支部より日本の武道、柔術の流派として承認され、1934年に大日本武徳会において柔道部門の中に組み入れられる。当時の唐手は自由乱取りに相当する組手は存在せず型のみが行われていたが、柔道の乱取りや剣道の竹刀稽古を参考に本土上陸後に組手が研究され整備されていく。また講道館柔道が整備した今日のような道着や黒帯・色帯制度、段位性を唐手改め空手は武徳会時代・柔道傘下時に採用する。第二次世界大戦での日本の敗戦後、柔道や剣道はGHQによる武道禁止令の影響を大きく受け、柔道はその三大部門の一つであった当身技が制限・軽視されることになる。当時国内での影響力も少なく制限を受けることの少なかった空手は戦後の柔道の当身技の軽視の間隙を突いて進出することになる。 神傳不動流と講道館を学んだエドワード・ウィリアム・バートン=ライトは、ヨーロッパの武術と組み合わせたバーティツを創設した。 かつて太平洋戦争末期の日本で、本土決戦に備えて柔道家・塩谷宗雄によってまとめられ作られた、徒手、武器の技術を含んだ綜合武術格闘術がある。戦争が終結した為「幻の格闘術」となっている。
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