ザルツブルク‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【ザルツブルク大聖堂】
ザルツブルク大聖堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 06:36 UTC 版)
「ザルツブルク市街の歴史地区」の記事における「ザルツブルク大聖堂」の解説
最初のドーム (Dom) は774年に前期ロマネスク建築によりメンヒスベルクの山裾に創設されたもので、司教聖ヴィルギリウスが大聖堂を献堂し、そののちの図書館や学校の基礎となった。その後の数世紀、教会はその影響力をたえず広げようとし、寄進や寄付あるいは特権によって守られた宗教的な地位を、世俗的な権力を強めるためにも活用した。 2度目のドームは、1181年から1200年ころにかけて後期ロマネスク様式に改築された。アルプス以北では唯一、身廊が5つあるバシリカ様式の建築でドイツ皇帝聖堂との混合形式である。一領主である司教がこのように優れた建築物を造ることができたのは、教会所有地の収入のほか、ハラインの岩塩採掘、タウエルンの金採鉱での収入によるものであった。 今日のザルツブルク大聖堂は、1628年にバロック様式によって建て直されたものである。ザルツブルクの歴史において最も華麗な祝典は、1628年の大聖堂の献堂式であったが、それは三十年戦争のさなかの出来事であった。イタリア出身のヴィンチェンツォ・スカモッツィ(1548年-1616年)の設計案が廃案となり、同じくイタリア出身のサンティーノ・ソラーリオ(1576年-1646年)によって設計された大聖堂は、ドームの乗る大理石の双塔をもち、ペディメントをはさんで構成されたファサードを特徴とする。 多数の彫刻によって装飾され、内装は光の効果をふんだんに利用しており、イタリアのバロック様式を取り入れた美しい建築で知られる。1万人もの人員が収容可能であり、大規模なミサがとりおこなわれ、また、ヨーロッパ最大のパイプ・オルガンを所蔵している。1961年に設けられた聖堂の鐘もドイツ語圏では最大のものである。1959年には改修を受けている。 この聖堂前を舞台に1920年以来、戯曲『イェーダーマン』が上演され、これがザルツブルク音楽祭のオープニングになっている。なお、この音楽祭の発案者は『イェーダーマン』の作者でもある世紀末ウィーンの文豪フーゴ・フォン・ホーフマンスタールであった。
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